今日は1日色々な本を読みました。
大人しく寝てたんですけどね、どうしてもただ寝ているって時間が勿体無い気がしてできないんです。
そんな中読んでやっぱり好きだなぁと思ったのが横溝正史「獄門島」
…ごめんなさいね、暗い話が好きで(笑)
私はとってもミステリが好きですが、ミステリに触れた一番最初は多分、乱歩の少年探偵団。だと思う。
多分多くの人がそうだと思うんですけど、小学校の低学年、図書館での出会いだったかと。
その頃私がミステリを好きだった理由はただ一つ。
妖しい雰囲気…それにつきます。
当然ですね、トリックだとか本格だとかそんな難しいことはわかりませんし、気にしてもいませんでした。
そういう風にミステリをミステリとして好きになったのはクイーンの「エジプト十字架の謎」を読んでからだから確か小学校4年生の時です。あの時の衝撃がなかったらおそらくミステリ好きは今日に至るまで続いていなかっただろうなぁ…。
と、まあそんなことはどうでもよく。
「獄門島」です。
私は横溝作品の中でこれが一番好き。
最後に訪れるカタストロフィーがとても美しいと思うのです。
所謂本格ミステリは謎解きの整合性に重きを置き、トリックの目新しさ、フェアプレー、などが評価されるわけですが、私がミステリで好きなのは勿論そういう本格が大好きなんですが、もう一つカタストロフィーの気持ちよさがあります。
つみあがったピースがそれぞれぴたりと組上がり、一部の隙もない正解を示す(まあ中々そこまでのものはないけどもね)。
そして謎は解決されるわけですが、解決って謎の消滅じゃないですか。
上手く表現できないですけど、その解決によって積み上げた謎がなくなる…それが快感というか。
…違うな。
たとえを変えましょう。
私は幻想小説も大好きですが、幻想小説ってふわふわした夢物語と誤解されることも多いですが、本当の幻想小説は緻密に設計されていて、その緻密さの中に不意に異様な、ロジックでは説明できないこと、その世界のルールでは説明できないことが起こって、その緻密さが壊されるからこその幻想小説だと思うのです。
だから崩壊の前までに、どれだけ緻密な世界をつくりあげられていたかが幻想小説の要といえる(のかもしれない)。
その緻密さが壊されるカタストロフィー、それと同じものを私は「獄門島」に感じてそれがこの小説を好きな一番の理由なのです。
…うーん、いまいち意味のわからない説明をしていますね。
困ったな。
まあ、とりあえず夕凪は「獄門島」が好きだと。
そういうことです(汗)
ふう。
その他にも今日は色々読みましたよ。
「陽気なギャングが地球を回す」(伊坂さん好きVv)とか「ホテル・ニューハンプシャー」とか「PAY・DAY」とか。
あ、「侍女の物語」も読んだ(これはすっごくすっごくお勧め!マーガレット・アトウッド著。考えさせられます)。
風邪も治ってきたうえ、有意義な1日でした。