今回はちょっと前に思ったことを話します。
私の勤める会社で人権についての研修があったのですが
その研修で流されたビデオの内容を見て唖然としてしまいました。
ビデオ自体は人権団体か何かが作成したものだったようですが
(最期になんたらかんたら団体の名前が記入されていました)
人権を声高に訴える人にとっては何を見ても人権侵害に見えるようです。
私がそのビデオをみて特に気になったのは
・アルバイトだと仕事をちゃんとしないんだからちゃんとした人を雇えばいいのに
という発言
・年寄りが電車に乗ってきて(多少からだの自由が利かないかも知れないですが)
よろけるかなにかで押しのけられていやな顔をした
というような内容も人権の侵害に当るとしていたところです。
このほかにも色々とあったのですが、「全体的にそんなことも人権侵害か?」
と問いたくなるようなことまで人権侵害であるとしていました。
私はそのビデオを見せられたときに、正直言って
「そんなことまで人権侵害にされて気をつけなければならないのなら、
人権なんて考え方捨てちまえ」
と思ったほどです。
無論、コレは極論且つ、そのときのあまりに極端な主張を聞かされての
反感であったからです。
人権という考え方や人権の主張には社会形成の上で欠くべからざる
ものと思うものが多々あります。
奴隷制度の廃止、極端な低賃金での労働の防止、子供への労働の禁止
人種差別の撤廃などは人権主義の輝かしい成果であると言って良いでしょう。
しかしながら、私が見せられたビデオ(及び極端な人権主義者の主張)は
仮に主張全てを実現できても輝かし成果とはいえないでしょう。
どちらかと言えば、暗黒時代の忌まわしき記憶と言われるような内容である
と私は考えています。
何故なら、彼等の主張は事実の経験的蓄積による感想や、言論の自由、
果ては人間的な感情の否定になると私は感じたからです。
先ほど例に挙げた、バイトがちゃんとした人でない(労働上では)という
発言は感想に当ると私は考えます。
実際として、バイトがちゃんとした仕事をしないことはままあります。
自らの生活の糧としてではない人(学生などのバイト)であれば
意欲として、生活の為に働いている正規労働者よりも意欲が
低いということは考えられますし、現実の経験としてそのような感想
が蓄積されたことのある方は多いと思います。
そのような、発言者本人の事実を無視して、その発言を抑制することは
言論の自由の封殺であり、思考停止の強要であり、思想の強制である
と考えられないでしょうか?
電車での例など論外です。
普通、人にぶつかれたり、押されたりしたら嫌な顔しませんか?
その後、体が弱い年寄りだったのならば仕様が無いと考えるので
あれば別に何の問題もないと私は思います。
突然、嫌になることをされれば嫌な表情をするのは人間本来の
感情であり、行動です。
しかしながら、私が見せられたその映像ではそれすら否定しています。
人間に感情や生物的な行動を捨てて機械になれといっているような
印象を私は受けました。
正直なところ、この手の人権教育映像や主張が言っている人間になる
方がよほど人権無視といえるのではないかと私は考えています。
人権という考え方は成熟した社会を形成する上でなくてはならないものです。
しかし、それも度が過ぎれば社会そのものを破綻させるような
悪質なものに変質するということを人権を過剰にす徴する方は
考えてみて欲しいものだと私は思います。