独断と偏見で断言するが、最近、「幸せでない人」は肩身が狭いと思う。



 女たちは「仕事も家庭も子供も」と躍起になっていて、運よく全てを手に入れた者は鼻高々で勝ち誇っているし、男たちは「正社員=勝ち組 非正社員=負け組」という図式に自らの人生をそっくり当てはめ、これまた運よく正社員になれた者はほっと胸を撫で下ろし、「負け組」たちを憐れみつつ、順風満帆な人生に乾杯をする。



 「家族愛」がやたらクローズアップされ、「幸せな家族」のロールモデルがあちこちで喧伝され、「愛する家族を持つことが幸せ、家族が一番」という思想がプロパガンダされて、人々は知らず知らず洗脳されている。



 いつの頃からか、メディアは「幸せ至上主義」となった。それも、欲しい物は何もかも手に入れるといった類の「物質的幸福」を全肯定するようになった。その「欲しいもの」の中には、パートナーや子供も含まれる。家庭や子供は、いつのまにか「幸せになるため」の必須アイテムとなった。これらを手に入れられなかったら、途端に「幸せ」では無くなってしまうのだ。だから人々は、なんとかして「幸福アイテム」を手に入れようと、必死になる。



 しかし現実問題、全ての人がこれらのアイテムを手に入れられるとは限らない。手に入れたとしても、「その幸福」を維持できるとは限らない。当たり前の真理だと思うが、それよりもまず「アイテムを手に入れること」が第一目標であり、そのことが意味することや、将来のことにまで頭が回っていない人が大半ではないかと思う。



 「幸せでない」ことが不安なのだ。この豊かな日本で、「物質的に恵まれていないこと」は直ちに軽侮の対象となる。いつのまにかそういう時代になってしまった。昔は違っただろうが・・・。だから、とりあえず「幸せになるために必要なアイテム」が全て揃っていなければ、という強迫観念に駆られるのかも知れない。



 しかし、「自分が幸せであると過剰にアピールすること」は、限りなく下品な行為だと思う。そこには他者に対する視線は無い。自分と、自分の周り対する視線しかない。自分と違う者を受け入れがたくなり、自らの価値観と違うものは否定する。限りなく狭量で、無知で、傲慢だと思う。



 自分だけのものさしで、「幸せでない人」を断罪したり、憐れんだりするものではないと思う。本来幸せの形は千差万別で、傍から見て不幸だと思えるような人生でも、本人にとってはかけがえのないものであることだって少なくないのだ。この事実は全くもって真理であり、人生を語る時の大前提であったはずだ。



 だから、100%幸せな人もいなければ、100%不幸な人もいないはずなのだ、本当は。人生に勝ったも負けたも無い。そのことを知っている人なら、決して自らの幸せを自慢したりしないはずだ。それは、人としての品格を著しく貶め、無知と無教養を曝す行為と言えよう。



 自らの人生を語る時、必ず幾分かの「含羞」が無ければならないと思う。自分はこんなに幸せだ、こんなに不幸だなんてことは、他人からすればどうでもいいことなのだから。