かなり前の話になるが、夫の会社で社員研修があり、その一環として「幸福は金で買えるか否か」というディベートをやった。その時は「買えない」と主張したチームが勝ったらしい。(勝負に勝ったという意味で、正しいと判断された訳ではない)ジャッジの決め手は「例えば山登りをしたとして、頂上を征服した喜びは高価な登山靴とか登山用品のせいではなく、一重に己の体力と気力の賜物である。だから幸福は金で買えない」という意見だったという。なんか、ざっくりし過ぎてないか。


 もし私がそのディベートに参加したなら、「買える」という方につくな。その方が論理が立て易いから。そもそも幸福とは「これだ」と一言で定義できるものではなく、人それぞれの感性や価値観による。ある人が「幸福だ」と思うことでも別の人にはそうでないかもしれない。正に幸福とは千差万別十人十色、よく言われることだが「幸福の形は一つじゃない」のだ。


 だったら、金で買える幸福があったっていい。どうしても欲しかったブランドのバッグを、お金を貯めて買った時、人は幸福を感じるだろう。或いは気に入ったキャバ嬢に会うために給料の殆どをキャバクラに費やすとか。例えその幸福が刹那的なものであっても幸福は幸福。幸福とは正しくは「幸福感」とでも言うべきで、脳内で作り出される感情だから、それのきっかけになるものを金銭で贖っても、一向に構わないのである。


 もちろん全ての幸福が金で買えると言うつもりはないし、金で買えない種類の幸福もあるだろう。しかし、金で買えない幸福は金で買える幸福よりも高級だとか、金で買える幸福は所詮薄っぺらい幸福だとか、そんな比較や定義は無意味だと思う。どんな幸福でも幸福は幸福だ。


 だから前述のディベートのジャッジは、私に言わせればかなり適当だ。むしろ予め、「幸福は金で買えるなんて結論、なんか汚い感じがする」という極めて情緒的なバイアスがかかっているような気がしてならない。双方の主張をきちんと論理的に精査して、公平にジャッジして導いた結論とは思えない。


 実際のところどうなのだろう。「幸福は金で買えない」と信じている人って、どれくらいいるのだろう。果たしてそれが真理かどうかはひとまず置いといて、「金で買える幸福もある」と思えば、人生かなり生き易くなると思うのだが。