久し振りに胸に迫る映画を観た。


 木村多江、リリー・フランキー主演の映画「ぐるりのこと。」は、ある平凡な夫婦の10年を描いた物語である。木村多江演じる妻が、子供を流産したことをきっかけに、次第に心を病んで行き、夫リリー・フランキーが、それを見守る様子を描いて行く。派手な演出も無ければ大事件も起こらない(流産の様子は描写されていない)が、じわじわと胸に迫り、後半に行くに連れて心にドスンと来る映画である。


 木村多江はこの映画で、日本アカデミー主演女優賞を受賞したらしいが、なるほどと思える圧巻の演技だ。鬱を発症し、徐々に壊れていく姿を実に自然に、美しく演じている。今まであまり主役にならなかった女優さんだが、地味な顔立ちにも関わらず、ものすごく光っていた。


 私も2度流産を経験しているので、映画のシーンのいくつかは、つい自分のケースに重ね合わせて観てしまった。私は鬱病にこそならなかったが、最初の流産は本当に辛かった。単純に落ち込むとかいうのではなく、心が暗い淵の底に沈んでしまったようで、そこから何年も這い上がれなかった。死にたい、と初めて思った。ブログを始めたきっかけの一つは、実は混乱した心の整理である。ブログのおかげで何とか立ち直れたが、ブログに出会ってなかったら、私も鬱になっていたかも知れない。


 映画の後半で、ヒロインが泣きじゃくりながら、「あたし、子供ダメにした。あたしは何もうまくできない。うまくやれない」と悲痛に叫ぶシーンがあるのだが、本当に共感する。流産してしまった女の気持ちとは、ああいうものではないかと思う。「うまくやれない」というセリフ。妊娠し、出産し、子育てをするという極めて自然な一連の流れを全うできないはがゆさ。他の女はみんなやれているのにという思いから来る劣等感。流産してしまったのは自分のせいではないかという自責。自分はもう母親になれないのではないか、妊娠してもまた流産してしまうのではないかという絶望感。それらの感情が絶え間なく湧いてきて、パニックを起こしてしまう、そんな心の激震が「うまくやれない」という言葉に集約されている。私自身経験したことだからよく分かる。


 ヒロインは流産直後、無理をして明るく振舞い、けれど心がそれに耐えられなくて徐々に壊れ、およそ10年かけて立ち直った。そして夫は、徐々に壊れて行く妻の傍らにありながら、特に何か働きかけをする訳ではなく、淡々とした風で妻に接する。妻がパニックを起こしていても、一緒に泣く訳でなく、ただ抱きしめて側にいる。「好きやから、一緒におるんや」と言いながら。


 現実は、恐らくそんな感じだ。周囲の人間の言動は、大して助けにならないのだ。肉親、夫と言えども、実際体内に子供を宿し、それを突然失った人間と同じ感覚を持てるわけもない。映画の中でも、母親や義姉が、(悪気はないのだが)心無い言葉を浴びせている。流産という「事件」は、周囲の人間にとってはすぐに過去の話になる。当事者だけがいつまでも苦しみの中にある。限りなく孤独だ。


 ヒロインが立ち直ったきっかけは、結局年月だろう。それと、「立ち直りたい」という意志か。底なし沼のような絶望感から這い上がれるか否かは、本人次第ということだろう。立ち直るに連れ、ヒロインの表情がどんどん明るくなって行く。どんなことがあったって、人は立ち直れるのだなぁという気がして来る。「うまくやる」必要などなく、ただ日々を大事に生きるだけで、人生は価値のあるものだと思えて来る。


 余談だが、リリー・フランキー演じる夫の助平っぷりが見事である。全身から「エロオヤジオーラ」が漂っている。地で演ってるんだろうか。