昨日、久し振りに会う友達と会った。まだ1歳の子供がいる人なので、当初は彼女の家にお邪魔する予定だったのだが、前々日にメールが来て、外で会いましょうという話になった。託児つきのカフェである。
わざわざ子供を預けてまでというのは悪いから、家まで行くよと言ったのだが・・・彼女は構わないと言う。なのでそのカフェで会うことにした。彼女には最近流産したことを話してある。ひょっとして気を遣ったのか?
私を「かわいそうな女」だと、彼女は思ったのだろうか。40になって流産し、この先子供は望めない・・・子供のいない人生をこれから生きなければならない、女としてとてもかわいそうな人だと。流産したばっかりで、小さい子供を見るのは辛いだろう、だから気を遣わなきゃ・・・そう彼女は思ったのかも知れない。私の考え過ぎだろうか。
私はかわいそうな女なんかじゃない。2度流産したことで、吹っ切れて子供のいない人生を積極的に楽しもうという気になって来た。やりがいがあって報酬も悪くない仕事を持ち、夫は定職について経済的にも安定しており、体も健康。しかもまだ40で、人生これから。子供が居ないから制約もないし、どんなことにも新しく挑戦できる。これ以上ないくらい幸せな状態だと思う。不妊、流産なんてのは、人生にたまたま起こった小さなアクシデントに過ぎない。
・・・と私は思っていたのだが。傍から見ると、この上なく不幸な女に見えるのだろうか。「せっかくできた子供をまた流産してしまった夏ばこさん。もう年だし、子供は持てないかも。なんてかわいそう。子供を見せるなんてあてつけみたいかも。」そんな風に気遣われてしまったのだろうか。もしそうだとしたら、余計な気遣いだし、正直微妙な上から目線を感じる(笑)
友達の「気遣い」はとことん裏目に出た。店内は混んでおり、おまけに他の客が幼い子を連れて来ていたのでそのお陰でうるさく、ゆっくり話ができなかった。予定どおり彼女の家に行っていたなら、流産した経緯と今の心境を、もっとはっきりとこだわりなく話せただろうに。流産して云々なんて公共の場所では適切な話題ではないので、なんとなく気まずい空気が流れたまま当たり障りのない話をしてしまった。心配してくれた彼女の心はありがたく、だからこそ私はもう大丈夫だと笑顔で言いたかったのに、結局言えずに分かれてしまった。
自意識過剰な私が悪いのか、それとも友達の気遣いの方向が間違っているのか、分からない。かわいそうなのは私かその友達のどちらだろうか?