昨日「誰も知らない泣ける歌」を見ていたら、いっこく堂が出ていた。最近テレビで見かけなくなったなぁと思ったら、舞台を中心に世界中で一流の腹話術師として活躍しているらしい。この人の芸は確かに、ライブの方が活きると思う。
いっこく堂には、ひどいいじめを受けた経験があるらしい。中学一年のある日、友達の些細な嫉妬から悪い噂を流され、同級生全員に無視されるようになったそうだ。そして、その無視は卒業まで続いた。誰も自分と話をしてくれない、自分なんか価値がない、いなくなった方がいいと思いつめ、自殺まで考えたそうだ。無理もない。多感な思春期の頃に、学校に誰も友達がなく、同級生全員から無視なんかされていたら死にたくもなる。私も中一のほんの一時期、仲良しだったある子から何かの理由で妬まれ、クラス全員から無視されていたことがあるが、あの時は本当に辛かった。私の場合は一ヶ月程度で済んだが、あれが3年間も続いたらまさしく地獄だろう。
高校生になる少し前に、「池中玄太80キロ」というドラマを見てからいっこく堂の人生は変わる。西田敏行に憧れて役者を志し、高校に入ってからは心機一転、人気者になるべく捨て身の演技で陽気な道化ものを演じ切ったのだ。それが功を奏し、高校に入ってからはクラスの人気者となる。彼はそうやっていじめを克服し、卒業してからは上京して劇団に入り、それからの活躍は誰もが知る通りである。
友達はいないよりいたほうがきっと楽しい。少なくとも一人もいないよりは、何人かはいたほうがいいだろう。しかしいっこく堂のような体験をしてしまったら、「友達はたくさんいたほうがいい」とは手放しで言えなくなる気がする。人の心は、時に弱くて残酷なものだ。集団圧力が加わると、個人の判断では間違っていると分かっていることでも、ついやってしまう。仲間はずれになりたくないがために、他人を平気で傷つけるようなことも。いっこく堂をいじめていた同級生に、さしたる罪悪感はなかったに違いない。人のそういう「闇の部分」を見てしまうと、あまり他人に対して期待しなくなるだろう。代わりに「個」の部分が強くなり、一人でも立っていられるようになる。
本来の「友達」はお互いの「個」に惹かれ合うものだと思う。だから「一人になりたくなくて」他人に迎合し、自分を曲げてまでも友達になりたがるのは本末転倒で、そんなものは本当の友達とは言えない。自分なりの考え、嗜好、信念が確立していれば無理して友達なんか作ろうとしなくても、その人の持っている物が魅力になって自然と人が集まって来るのではないか。
友達を作るために、自分を無理やり「世間並み」の鋳型にはめて、身動き取れなくなっている人がいる。人に合わせて笑ったり行動したりしている内に、気がつくと自分が本当はどういう人間なのかがさっぱり見えなくなり、常に友達の輪の中にいるのにちっとも楽しくないという状態になっている。始終一緒に群れていなければ友人関係を維持できないのなら、そんな関係は本物ではないし、無意味に群れるのも時間の無駄だ。
一対一で付き合えないような人を「友達」と呼ぶべきではない。誰かと二人きりになった時、何も話すことがないしどう接していいか分からなくなるような人は、誠実に誰かと、或いは自分と向き合ったことが一度も無いのではないかと思う。群れることで安心し、何となく色んなことをやり過ごして来てしまった人は、もしかしたら本当に自分の人生を生きていないかも知れない。
自分以上に自分のことを真剣に考えてくれる人など一人もいない。群れには同化すべきではない。少し距離を置いて、眺めるくらいがちょうどいい。一対一の関係も然りで、互いにべったりと依存していたら最終的には関係が壊れるだろう。友達は、少ないほうが望ましい。