ふと考える。これまでけっこう長く生きて来て、誰かと「心の底から」通じ合えたこと、果たしてあったのか、なかったのか。
恋をして、その恋がうまく行っているうちは、確かに通じ合えていたような気がしていた。でも、関係が終われば、それっきり。通じ合えていたのは結局錯覚だったと気づくことになる。いけないのは私の場合、恋が長続きしないという事だ。思い焦がれた時間の何倍もの長さを、混乱と嘆きの内に過ごすこととなる。相手から突然別れを告げられて。
「あなただけが頼り」「あなたが一番信用できる」「あなたにだけこんな話をする」何人の人に言われたことか。しかし、ある時を境にその人たちの気持ちは突然変わってしまうのだ。私がうまく期待に応えられなかったせいかも知れないが・・・。しかし、私は私。どんな時でもそれは変わらない。私と言う人間を「読み間違えた」彼女たちに責任があるような気がする。しかし、彼女たちは全ての責任を私に押し付けて、私から離れて行く。呆然とした後、誰かのために一生懸命になることが、馬鹿らしくなって来る。他人に感情移入するほど、甲斐のないことはないのではないか?と思ったりする。しかしあまりニヒルに構えてしまうと、誰かを心から愛することも、何かに思い切り感動することも、できなくなってしまうような気がして怖い。
永遠の愛を誓い合って一緒になったはずなのに、気がつくとものすごく疲れる存在になっている。なぜそんなに私の気持ちが分からないのか?私がとことん譲歩して当たり前になるのか?のらりくらりとして、いつも自分の自分の要求を通してしまうのか?「感謝してる」と口に出しながら、行動が伴わないのは何故か?愛している状態を持続するのは本当に難しい。どんな形でも継続させるのが結婚という人もいるが・・・私はそうは思わない。かと言って「大嫌い」にならなければ別れることなどできはしない。不本意な状況でも、惰性で継続すればそれは安楽となる。惰性が心地良い内は、ま芯から不幸ではないのだろう。
誕生日が近いせいか、うだるような暑さのせいか、色々ネガティブに考えてしまう。私の今までの人生の総和が、案外お粗末なものだったんではないかと、漠然と気づきそうになる。決してそんなことはない(はずだ)。
誰かの胸で思い切り泣きたいなぁ・・・。