この間日テレでやっていた「阿久悠物語」を観た。そういえば亡くなってからちょうど1年か。
阿久悠が活躍したころの「歌謡曲」の歌詞には、感情があった。男と女の物語があった。アップテンポな曲に載せられていても、どこか哀愁が漂っていたりして、たかが歌の文句と侮れない「深み」があったような気がする。短い言葉の中に、あれだけのエッセンスを凝縮して入れることができるのは、才能もあるけど阿久悠という人自身が、ロマンチストで詩人で、哲学者で作家・・・実に多彩な人だったのだろう。
阿久悠はその繊細な歌詞世界からは想像もつかないようなビジュアルをしていて、作詞家というよりは甲子園常連校野球部の監督と言った方が似合う人だったが、主演の田辺誠一はけっこう上手に演じていた。全然キャラが違うのに、大したものだ。外見はいかつくても内面は繊細な人だったろうから、その辺りを上手く表現していたのかも知れない。
阿久悠の作ったヒットソングと一緒に、当時の秘蔵映像がたくさん出てきて懐かしかった。昭和の日本人は熱かったのだなぁ。輪郭が太くて、喜怒哀楽をはっきり出して、元気もあった。平成の日本人とはかなり違う。生き生きしていたと思う。芸能人も一般人も、今と違ってひたむきだった。
当時の歌手は、なんというか存在感が違う。厚くて濃い。色んなものを背負っている感じなのだ。実際、一人のアイドルがデビューするには、背後に何人ものスタッフの尽力がある。昔の芸能人はそういうものを全部背負って、その人たちの期待に応えるべく頑張っていたのだろう。そういう「想い」がオーラとなって出るのかもしれない。
みんな、真面目に生きていた。一生懸命な時代だった。ピンクレディーのデビュー曲、「ペッパー警部」の振り付けで、ミニスカートから覗いた太腿も露に、股をパカパカと開く振り付けがあるのだが、今見るとかなり卑猥だ。実際、あの振り付けは物議をかもしたらしい。「若い女の子にあんなポーズをさせるなんて」と、抗議の電話が殺到したと言う。しかし当時のミーちゃんケイちゃんは、笑顔で踊っている。多分恥ずかしくてたまらなかっただろうに、自分を売り出そうとしてくれる周りのスタッフの期待に応えるために、その努力をムダにしないために、プロ根性でやったのだろう。阿久悠は、ピンクレディーはとことん人工的に、計算されつくしたコンセプトで売り出そうと決めていたらしい。だから清楚な10代の女の子が、大胆な衣裳で刺激的なダンスを踊るというのは、確信犯的な戦略だったのだろう。それが、見事に当たった。その後のピンクレディーの飛ぶ鳥落とす勢いは、周知の通りである。私も「UFO」とかよく真似して踊ったものだ。
阿久悠の活躍した70年代と今とでは、歌謡界も芸能界も、社会の状況も何もかも違う。薄っぺらくなり、夢が無くなり、憂鬱になった。「歌謡曲」が「Jポップ」と呼ばれるようになってから、阿久悠は一切作詞をしなくなった。ビートやリズム重視の楽曲に、自分の叙情的な歌詞は載らないと思ったからだそうだ。まったくその通りで、阿久悠の詞が使われなくなった頃から日本のヒット曲は深い感情も、切ない物語も歌わなくなってしまった。ただひたすらに面白くも無い日常的なつぶやきを、中途半端な英語交じりの歌詞に載せて演奏するだけだ。愛、夢、希望と歌っていても、どこか空虚で上辺だけな感じがする。
昔よりも今の方がはるかに豊かで、何もかも進歩したはずなのに、歌の世界だけ明らかに退化してしまったのは何故だろう。私は日本人の感性が、どうしようもないレベルまで鈍磨してしまったような気がしてならない。
阿久悠の物語を観ながら、そんなことを考えた。