最近、「ロボットと人間の恋愛ドラマ」を目にする機会が多い。ちょっとしたブームか?


  映画では、「僕の彼女はサイボーグ」、テレビでは「絶対彼氏」。私はどちらも見た。(「絶対彼氏」は現在も放送中) この二つに共通しているのは、ロボットが人間に捧げる絶対的な愛である。「僕の彼女はサイボーグ」で、サイボーグの「彼女」は自分がスクラップになっても主人公を守り、「絶対彼氏」では、速水もこみち演じる「ナイト」こと01が、ヒロインの梨衣子に疎まれても疎まれても、献身的に尽くし倒す。もちろん彼らはロボットだから、そうプログラムされているからその様に行動するのだが・・・。分かっていてもその健気な姿には感動する。


 思えばロボットは悲しい存在だ。人間によって作られ、最初から人間の想定内の範囲でしか活動することができず、壊れたら廃棄処分にされる。彼らは自動車やテレビ、冷蔵庫などの大型家電と同じなのだ。しかし人間と同じ姿をし、プログラムによってとはいえ、人間でさえも持ち得ないような崇高な愛情で人間に仕える姿は、時として人間以上に人間らしく見える。人間が忘れてしまった(かもしれない)無償の愛、気高さ、ひたむきさが、皮肉なことにロボットに中に息づいているかのように錯覚してしまうのだ。


 しかし映画でもテレビでも、ロボットはあくまでロボットとして扱われる。映画の中でサイボーグの彼女は、最終的に壊れて機能停止してしまうし、テレビの01(ゼロワン)は、制御できないような感情が芽生えたことが問題視され、プログラムを初期化されてしまう。どちらの場合も人間のように抵抗したりせず、ただ淡々と自分の運命に従う。妙なことだが、私はそういう場面に何故か弱い。必ず泣いてしまうのだ。機能停止やプログラムの初期化は、人間で言えば死に当たる。死に直面しながらも最後まで自分の使命や愛をまっとうしようとする彼らの姿に、胸を打たれてしまうのかも知れない。


 フィクションの中でロボットは、人間以上に人間らしい、魅力的な存在として描かれる。実際のロボットがまだそこまでの域に到達していないので、何だか夢があって、素晴らしいことのような気がするのだが・・・実際の世の中に、人間と同じ感情を持ったロボットがもし出現したら脅威だし、そんな事態は絶対に阻止しなければならない。絵空事は、絵空事だから美しいのだ。


 夢は無いけど、でも感情はやっぱり人間だけのものだから。