ブログネタ:愛煙派? 嫌煙派? 分煙派?
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私は非喫煙者である。若い頃のごく短い時期に、少しだけ煙草を吸っていた時期があるが、結局合わなくて止めた。指先や歯が黄色くなったり、服や髪に臭いが残ることへの嫌悪が、煙草を吸いたいという気持ちに勝ったのだ。味覚も鈍るし、色々なものを失ってまで吸い続けるものではないと思った。お陰でニコチン中毒にならずに済んだ。
私に煙草は合わなかったが、合う人には喫煙が長年の習慣となって、煙草なしではいられなくなるものらしい。それはそれで一つの生き方として理解できる。体臭がヤニ臭くなろうと、味覚が鈍くなろうと、健康面でリスクを負おうと、人に迷惑さえかけなければ個人の自由だと思う。好みは人それぞれだし。
しかし、それはあくまでとりあえず健康な人たちの特権ではないだろうか?健康でない、或いは健康を損ないつつある人たちにとって、煙草は毒以外の何物でもないはずだ。なのに喫煙の習慣はどうしても止められないものらしい。
母と弟のことである。ご存知のように弟は脳腫瘍を患った。なのにまだ煙草を吸っている。私に言わせればあり得ない。母も、少し前に高血圧症と診断されて、降圧剤の世話になっている。なのに一向に禁煙する気配はない。
弟の手術後しばらく経って見舞いに行った時、弟が煙草を吸っているのを見て本当に驚いた。喉元過ぎれば、って、早過ぎじゃないのかと。義妹が言っても聞かないらしい。義妹も困っていた。そりゃそうだ。その時はまだ腫瘍が悪性か良性かはっきりしていない時期だったので、喫煙は無謀な行為以外の何物でもない。喫煙は明らかに健康に悪い。急激に変化は出ないかも知れないが、長期的なスパンで悪影響が出るのは必至なのだ。脳腫瘍と言うこれ以上無いほどの重病にかかったのなら、リスクはできる限り回避するのが自然な対応ではないのか。私は、弟にかなり強い口調で禁煙を促した。しかし完全に無視された。
以前母にも「禁煙した方が」と勧めたことがあるが、その時はハイハイと言っても結局聞いてくれなかった。明らかに私をウザいと思っている様子だった。喫煙は血管を収縮させる。降圧剤を飲みながら煙草を吸うという事は、効果を相殺し合っていることにならないか。という事は、結局高血圧は改善されないのでは無いのか。プラマイゼロどころか、むしろマイ。正に命をかけている。弟の腫瘍も結局は良性だったから、とりあえずは大丈夫かも知れない。しかし弟はこれからてんかん止めの薬を一生飲むのだ。薬の飲み合わせを気にして風邪薬さえ控えているのに、煙草を止めないのは矛盾以外の何物でもないだろう。
健康に悪いと自覚しながら、或いは健康を損ないながら、煙草と言う単なる嗜好品を選んでしまうのは、明らかに中毒だろう。この中毒性が煙草の最も恐ろしい点だと思う。(そして日本たばこ産業の売り上げを支えている)
思うに、喫煙者と非喫煙者の間には深くて広い溝がある。喫煙者は何とかして煙草を吸う理由を探す。非喫煙者は、健康に悪いと分かっていながら吸う気持ちが理解できない。そこまで煙草に入れあげる気持ちが全然分からない。煙草に関しては、両者は絶対に相容れない。
私は、嫌煙派に近い分煙派である。煙草の煙は大嫌いなので、吸う人の気持ちは正直分からない。しかし私が煙草を嫌いだからと言って、煙草を好きな人に吸うなと言う権利が無いのは十分理解している。だからしっかり分煙してくれれば、吸っても構わない。但しそれは、非喫煙者が食事中でない時に限る。食事中の煙草の煙ほど不快なものは無いからだ。飲食店がどんどん禁煙化あるいは分煙化しているのは、好ましい傾向だと思う。
飲食をしながら煙草を吸う人はけっこう多い。そんなことをしたら料理の味も酒の味も分からなくなると思うのだが。自分が分からなくなる分には構わないが、同席した非喫煙者まで巻き添えにしないで欲しいものだ。あの煙は強烈な臭いなのだ。自分が常に煙の中にいる人には分からないかも知れないが。
あ、私は別に喫煙者を憎んでいる訳ではないので念のため。喫煙と人間的魅力とは何の関係もない。煙草を吸う素敵な人もいるし、吸わない感じの悪い人もいる。むしろ煙草を吸うことは、「大人の悪徳を理解している」雰囲気をかもし出すのに一役買っている。スマートに煙草を吸う人は、正直かっこいい。
でも私はこれからもきっと煙草は吸わない。