女性と二人きりで居酒屋に入るなんて何年ぶりだろうか。
繁華街の雑踏で偶然、かつての恋人綾子と再会した耕治は、懐かしさのあまりつい「時間ある?」と誘ってしまった。さりとて自身も街に出るのは久し振りなので勝手が分からず、とりあえず最寄の「養老の滝」に入ったのだ。ムードもへったくれもないが、致し方ない。
18年ぶりに会った綾子は、少しも変わっていない気がした。恐らく38か9になっているはずだが、色白の丸顔、やや離れた黒目がちの、三日月形の目、ぼってりして口角の上がった唇。決して美人ではないが、いつも微笑んでいるような、チャーミングな顔立ち。若い頃とまったく遜色が無かった。学生時代は前髪を眉毛ぎりぎりで切りそろえたおかっぱ頭だったが、今はワンレンで背中までのロングを、明るい栗色に染めている。ブルーグレイのパンツスーツをビシッと着こなした、見事なキャリアウーマンだった。
「綾ちゃん、変わってないね」思わず昔の呼び方で呼んだ。「コージ先輩こそ。・・・と言いたいところだけど、ちょっとお腹周りがふくよかになったかな?うふふ。」「毒舌も相変わらずだな」「すみませ~ん!」他愛も無い会話がスムーズに飛び出す。女性と会話を楽しむのも何年ぶりだろうか。
こちらに来た理由は、転勤だと言う。綾子はずっと仕事を続けていたらしい。確か出版社に就職したはずだ。出版文化のないこの街で、仕事なんてあるんだろうか。「一応、編集長待遇ってことなんですけどね」「へぇ、すごいじゃない」「とんでもない。名ばかりの役職ですよ!新雑誌の企画を日本で一番元気なこの街で立ち上げるようにって言われて来たんですけど・・・なんか体のいい厄介払いみたいで。新雑誌作る話なんてこっちの人、誰も知らなかったし」「上の逆鱗にでも触れたのか」「さぁ、分かりません。確かにあたしちょっと主張の強いとこありますけど、今まで一生懸命仕事して来たつもりなんですけどねぇ。・・・あっ、ごめんなさい。久し振りに会ったのに愚痴ばっかりで。コージ先輩は今何してらっしゃるんですか?」「オレ?農協。以上!」「以上、ですか、あはは。他に何か言うことないんですか?」「無い!きっぱり」「あははは、じゃぁ、結婚は?」
やっぱり聞かれた。隠しておいてもいずれ分かることなので、正直に打ち明けた。「7年前に、した。」「そうなんですか・・・お子さんは?」「娘がいるよ。」7人とはさすがに言えなかったが。「綾ちゃんは、結婚してるの?」「あたしですか・・・この指見てから、聞いてくださいよ~!」綾子はそう言って、両手を広げて耕治の方に突き出した。サンドベージュのマニキュアが綺麗に施された指は、左手の中指にメレダイヤをあしらったプラチナの指輪、右手の小指にシンプルな2連のピンクゴールドのリングがはまっていたが・・・左手の薬指には何もはまっていなかった。
「へぇ、まだ独りなんだ」「そうなんですよ~負け犬ですよ、ま・け・い・ぬ!」「今39だっけ?」「あたし、早生まれですからまだ38です!っても、40近いってことに変わりはないんですけどね、あは。」「全然その年に見えないよ。もっとずっと若く見える。」「ありがとうございます!あたし、昔っから童顔でしたからねぇ・・・若い頃はこの童顔が嫌でしたけど、今は助けられてますねぇ・・・」「彼氏いるの?」「それがねぇ、いないんすよぉ!」
綾子は段々饒舌になって来る。飲むほどに顔も赤らんで、テンションも上がっている。ストレスが溜まっているのか。「なんかねぇ・・・会社じゃあたし、若い女の子から同情されてるらしいんです。『負け犬のお局』って。こっちの人は保守的ですねぇ、東京じゃあたしぐらいの独身の女なんてゴロゴロいるから、特別な目で見られたことなんて無かったのに・・・こっちじゃあたし『かわいそうな人』なんですね。あたしを仕事してる人間じゃなくて、ただの女としてしか見ないんだもの、まったくやんなっちゃう・・・あたしは一体なんだっつーの!」
昔から負けず嫌いだったが、今でもそうらしい。この気の強さに手を焼いたこともあったが、ひたむきさがかわいらしかった。情熱的で、耕治を全身全霊かけて愛してくれた。耕治ももちろん綾子のことが大好きだった。一時期は同棲までしていたほどの仲だったと言うのに、結局別れてしまった訳は、耕治のUターン就職だった。東京の企業に入らず、郷里へ帰って職を探す道を選んだのだ。耕治が就職してからもしばらくは遠距離で頑張っていたが、次第に疎遠になり、1年ほどで自然消滅した。その後風の便りで、綾子が東京の大手出版社に就職が決まったことを知った。やはりキャリア志向だったのだ、自分とは合わなかったのだ、耕治は無理やり自分にそう言い聞かせ、諦めることにしたのだった。
そうなのだ。元々嫌いで別れた訳ではない。綾子は今でも独りだ。そして昔と変わらず、魅力的だ。耕治は、自分の中で何かが蠢くのを感じた。そしてそれは、したたかに酔って正体を失くしかけている綾子を見ている内に、だんだん大きくなって行った。「コージ先輩・・・あたし、ちょっと飲み過ぎちゃったみたいですぅ・・・」
耕治は無言で酔いつぶれた綾子の肩をかつぐと、勘定を済ませ、通りへ出てタクシーを拾った。まだかろうじて意識のあった綾子から住所を聞きだし、運転手に告げた。そして30分後、耕治は綾子のアパートにいた。
(続く)