今日は朝から大雪だった。この地方にしては珍しい。風がとても強くて、吹雪のようだった。しかし元々温かい地方なので、間もなく雪は止み、薄日が射して来た。やっぱり積もるまではいかない。


 私は雪の日がけっこう好きだ。普段より寒いのだが、湿気が出るせいか、どこか「あたたかく」感じる。不思議だが。この地域は冬になるとひどく乾燥して、強い風がびゅーびゅー吹き付ける。そのせいで体感温度は実際より寒い。風のものすごく強い日などは外へ出る気にもなれない。しかし、雪の日はたとえ普段より寒くても、何故だか外出したくなってしまう。冷たい空気も気にならない。しんしん降る雪の中を歩いていると、何故だかほっこりと温かい気持ちになる。これも私が雪の少ない地域に住んでいるからで、豪雪地帯に住む人々はこんな呑気なこと言っていられないだろう。


 雪から連想した訳ではないが、ふと中島みゆきの書いたある詩を思い出した。そういえば彼女は北海道出身だった・・・北海道は、豪雪地帯だ。



  「あたし時々おもうの」



あたし時々おもうの

命は いったいどれだけ

どれだけのことを できるものかしら


いつのまにか いつのまにか 命の終わり

あたしたちが 若くなくなったとき

あたしたちは まだ

いつか いつかと

声をかけあうことがあるかしら

命は 命は

なんにもしないうちに 終わってしまうから


「若い時」なんて あたしたちにも もうないの


いつのまにか いつのまにか 命の終わり

あたしたちが 若くなくなったとき

あたしたちは まだ

いつか いつかと

声をかけあうことがあるかしら

命は 命は

なんにもしないうちに 終わってしまうから

「若い時」なんて あたしたちにも もうないの


若くなくなったあたしたちは

いったい どんな顔をして

行きかえばいいの

いったい どんな顔をして


あたし 時々 おもうの



 この詩を初めて目にしたのは、確か高校1年の時。中島みゆきばかり、漁るようにして聞いていた頃だ。あの時は「深いなぁ」と思ったきり、それで終わってしまったが、38歳の今読み返してみると、より切実に胸に突き刺さる。私は、あの時より確実に「若くなくなった」。「いったいどんな顔をして行きかえばいいの」という年齢に、もはやなってしまった。そのことが殊更に、実感される。


 若い時は、好きなだけムダにできる時間があった。無限にあるかに思われる時間に甘えて、私は何一つ、成し遂げて来なかった気がする。成し遂げないまま、この年になってしまった。まだ、「いつかいつか」と声を掛け合うことができるのだろうか?


 命は「なんにもしないうちに」終わってしまうものかも知れない。徒に迷ったり、悩んだりしているうちに、人に誇れるようなことを何一つできないまま、一生を終えてしまうのだろうか?


 「若いときなんて もうない」のだから、そんな暇は無いのかもしれないなぁ、と思ってしまった。


 普段考えないことを色々考えてしまうのは、正月の特徴か?