馬鹿者。
個人の思想と勤務拘束中の考え方はまったく別次元のもので、分離して考えるものだ。貴社は民間会社ではなかったのか?それくらいわからないの? 最高裁が示さないとわからない? 新聞社を畳んだ方がいい。
貴社はいいね。個人の思想とやらで職務放棄しても問題として問わないんだ? いい新聞社だな。
個人の思想はあくまで個人のもの、制約はありません。個人の時間にやりなさい。
校長から君が代のピアノ伴奏を命じられた教諭は、自らの思想信条を理由に拒否できるのだろうか。
職務命令として従わなければならないのか、それとも命令は「思想・良心の自由を侵してはならない」という憲法19条に反するのかが争われた訴訟で、最高裁第三小法廷は職務として命じても憲法違反ではないという判決を言い渡した。
君が代をめぐっては、一緒に歌うことなどを求めた職務命令に従わず、処分された教諭が起こした訴訟もある。最高裁の判断は今後、そうした訴訟の結果に少なからず影響するかもしれない。
ただ「職務命令」が乱発されて校長と教諭の間の対立が深まったり、授業や行事に支障が出たりするのは決して好ましいことではないし、生徒や親も望まないだろう。圧力を強めるような学校運営にならないよう、くれぐれも心掛けるべきだ。
原告の音楽教諭は1999年4月、東京都日野市の市立小学校の入学式で君が代の伴奏をするよう職務命令を受けたが、拒否した。そのため都教委は戒告処分し、教諭は「思想、良心の自由の侵害」として処分取り消しを求めて提訴した。
一、二審はいずれも教諭の訴えを退けた。思想や良心の自由は認めつつも、公務員は制約されることがあり、そのケースに当たるという理屈だった。
最高裁は今回、伴奏を命じても教諭の歴史観などを否定したことにはならないし、職務命令の目的や内容に不合理性もないことから憲法違反の事実はないと判断し、教諭の敗訴が確定した。
判決は裁判官5人のうち4人の多数意見。補足意見では、学校が組織として君が代斉唱を決めた以上、教諭も協力する義務を負うという主張もあった。
個人としての考えはどうであれ、教諭が学校行事に協力するのは当然であり、社会の常識だとみなす一般の人も少なくはないだろう。
しかし、思想や良心の自由はもっと深く、別の視点からも追究されるべきテーマではないだろうか。
裁判官の一人は反対意見で、思想・良心の自由とその制約要因となる「公共の福祉や利益」との関係をもっと具体的に検討すべきだと主張した。自らの信条に反して伴奏することは大きな苦痛をもたらすのに、それでも強制が許されるのか。許されるとしたらどんな場合なのかを、突き詰めるべきだという立場になる。
「思想・良心の自由」や「公共の利益」とは、一体何なのか。両者が衝突するとしたら、どう調整すべきなのか。最高裁が示すべきは、そのための判断基準だったはずだ。
2007年03月05日月曜日