こういう事実もあるのだ。
っていう思考回路は持ち合わせていない・・・朝鮮系。
言い尽くされているが、日本は南朝鮮を侵略した、だからすべて日本人が悪い。全部悪い。
南朝鮮の歴史は正確なんだ。・・・馬鹿。
朝鮮系の人間は、子どもも大人もやることが同じで・・・・。ああ、迷惑だ。
「間違った『ヨーコの話』学びたくない」
米国に住むある韓国系の女子中学生が、「日本による植民地支配末期に韓国から日本へ避難する日本人女性・子供たちに韓国人が性的暴行を加えたとする、日本人作家の自伝的小説『ヨーコの話』を学ぶことはできない」とし、1週間登校を拒否した。
『ヨーコの話』は、日本による植民地支配末期の1945年7月、咸鏡北道に住んでいた鉄道会社員の娘「ヨーコ」が、母や姉と共に韓国から避難し日本に戻る過程で、日本人女性たちが無残に死んでいき、韓国人男性に強姦されるのを目撃したと記述した本で、米国の一部地域の学校で教材として採用されている。
米国生まれでニューヨーク近郊のある私立学校に通う7年生のホ・ボウンさん(米国名アレックス・ホ)=11=は、「韓国を侵略し多くの人を殺したのは日本人のほうなのに、この本の至る所で韓国人が日本人を暴行し、とても悪いことをしているように書かれている。ある一節を読み、涙がとめどなく流れそうになった」と語った。ホさんは「私のクラスの友達がこの本を読んだら、私をからかい、悲しくなるのではないだろうか。私自身が心の平穏を感じ、思う存分意見を述べる場であるべき学校のクラスで、こうした扱いを受けることはあってはならないこと」と心配した。
ホさんは2004‐06年の夏に母親と共に韓国を訪れ、国立博物館などを見学し、日本が植民地統治などで韓国人に被害を与えたという歴史的事実をきちんと知っていた。
ところが韓国人のほうが日本人を脅かし、性的暴行を加えたという内容の本が昨年9月に英語の授業の教材として配られたことから、ホさんは先生に「私は家に帰る」と告げ、カバンを持って帰宅したという。ホさんはその後、この本を教材として授業が行われた1週間ほど登校を拒否し、学校側はついに『ヨーコの話』を教材として使わないことを決めた。
ニューヨーク=チェ・ウソク特派員
朝鮮日報/朝鮮日報JNS
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/01/21/20070121000030.html
一読をお願いします。
http://blog.livedoor.jp/tonchamon/archives/51274293.html
2007年01月07日
都合の悪い歴史は削除!アメリカの韓国人が日本人作家の本に抗議
【米韓】 米国の学校、日本人の書いた韓国歪曲本を教材に使用~抗議受け採択可否の投票実施[01/01]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1167619276/
(ワシントン=聨合ニュース)米国国内の中学校で推奨図書として使われている日本人作家の小説が韓国を歪曲したという批判を受けて、教材使用の可否に対する表決が実施される予定だ、とボストングローブ誌が31日報道した。
問題の本は日本人ヨウコ・カワシマ・ワトキンズ(Yoko Kawashima Watkins)さんが書いた「竹木をはるか離れて(So Far from the Bamboo Grove)」と言う自伝的小説で第二次大戦以前、当時の韓国に住んでいた著者が家族と一緒に日本へ逃げるところから始まり、貧乏の中で悲劇的に生きて行く内容を記している。
当時11歳だったワトキンズさんは満州で官吏をしていたお父さんのため、敗戦とともに韓国人らに追い回されて日本へ逃げ、韓国を抜けだす過程で強姦と人々が死んで行くのを目撃したと書いている。
この本は戦争の残酷性を描いたという点が高く評価されて合計60冊に達する米国国内5~8年生の学生たちの推奨図書に含まれたが、韓国関連部分を歪曲したという学父兄たちの抗議が相次いで教材としての適合性可否が俎上に上がったと新聞は指摘した。 (後略)
アメリカの学校、韓国歪曲本教材使用可否論難(朝鮮語)
http://www.yonhapnews.co.kr/international/2007/01/01/0601080100AKR20070101001100071.HTML
正論 2005年 11月号
引揚民間人を襲った略奪・暴行・殺戮の嵐
(一部抜粋)
「満州や北朝鮮からの初期の脱出者は悲惨で、今も念頭を去らないいくつかのエピソードがある。
北朝鮮で農業を営んでいた老夫婦は、年頃の娘二人を連れ辛苦のすえやっと38度線近くの鉄原にたどりついた。
そこで見たものは、日本人の娘達が次々にまずソ連兵に犯され、ついで朝鮮人の保安隊に引き渡されてさらに散々に辱められたうえ、虐殺されている光景であった。
(中略)
「吉州や端川の海岸線にでた人たちに対するソ連兵や朝鮮保安隊の略奪と暴行は、残酷をきわめた。
夜中に雨戸を蹴破って侵入してきたソ連兵は、17になる娘を父親からひったくるように連行。
娘は明け方になり無残な姿で、涙もかれはてて幽鬼のごとく帰ってきたという。
みなソ連兵を朝鮮人が案内したのだった。
部落ごとの保安隊の関所では、厳重な身体検査が行われ、金や着物や米などが取り上げられた。
靴の底や、女の髪のなかから金を探し出すのはふつう。
一糸まとわぬ姿にされ、取調べられた若い女性もあった。
城津での惨状は言語に絶した。(中略)朝鮮人の男女が数十人の団体でおしかけ、干してある洗濯物から赤児の着物まで剥ぎ取って掠奪され、あげくは婦人の“提供”を要求されたという」
博多港から車で40分ほどの二日市温泉郷につくられたのが、「二日市保養所」である。
強姦によって妊娠させられた女性たちには、堕胎手術が施された。
また、性病に感染した女性たちにについても、匿って回復するまで治療が行われた。
昭和21年の春、堕胎のための専門病院設立のきっかけになる出来事があった。
医療救護に従事していた医師・田中正四は、港で引揚船から降りてきた教え子と再会した。
(中略)
京城女子師範を卒業して朝鮮北部の田舎の学校に赴任していた彼女は、
進駐してきたソ連兵に暴行されたのだ。
しかも一度では済まず、相手も変わった。
兵隊同士が情報交換をしていて、部隊の移動のたびに新しい兵隊に襲われたのである。
救療部の関係者は悩んだあげく堕胎手術に踏み切った。
医療設備や技術の不備、そして何よりも、当時は堕胎を禁ずる法律があったからである。
しかし手術は失敗し、娘は命を落としたのである。
「二日市保養所」の産婦人科部長だった橋爪医師の証言が、『水子の譜』に収録されている。
同医師が昭和21年6月10日付で救療部に提出した報告書によれば、
強姦の加害者は朝鮮人が最も多く、次いでソ連人、中国人、アメリカ人、そして台湾人、フィリピン人も登場する。
(中略)
中絶された胎児は、黄色人種もあれば、白人の子もいた。
