山形高2自殺:その夜教育長ら歓送迎会 「連絡受けたが」

 山形県高畠町の県立高畠高校の校内で2年生女子生徒(16)が自殺した22日夜、佐藤敏彦教育長ら県の教育委員と県教委幹部が、事態を知りながら山形市のレストランで酒食を伴う歓送迎会を開いていたことが分かった。佐藤教育長は24日、記者会見し「実施すべきでなかったと深く反省している」と謝罪した。

 県教育庁によると、22日は午後3時~5時半に定例教育委員会があり、同0時半ごろ起きた自殺は「女子生徒が転落し、死亡した」という警察発表が委員に伝えられた。自殺だということは委員会中に高畠高から県教委に伝えられ、高校担当の教育次長や高校教育課長ら5人は対応するため、午後6時半からの歓送迎会に欠席。しかし教育長を含め6人の教育委員全員には自殺とは伝えられず、教委の課長以上の職員ら計21人でレストランでワインで乾杯しながら、予定通り午後8時半まで飲食して過ごしたという。

 佐藤教育長は「転落と聞いて事故か自殺のどちらかと思い、やめることも頭をよぎったが、やめようという声がなかったので実施してしまった」などと釈明。会の途中で6回程度高校教育課長と携帯電話でやりとりし、自殺と知ったがそのまま会を続けた。

 県の教育委員は10月27日で交代したが、高校の履修単位不足問題、県立高教員のわいせつ事件、飲酒運転など不祥事が相次ぎ、この時期まで歓送迎会が出来なかったという。

 高畠高校は24日、学校を休みとして生徒を自宅学習とした。授業は27日から再開する。【辻本貴洋】

毎日新聞 2006年11月24日 11時51分 (最終更新時間 11月24日 12時06分)



常識的な判断能力が欠如している教員が何を考えても不毛である。

しかし、この主体性の無さはいかがなものか?教育者が受動的な思考をするようでは、この先建設的な解決方策を見出せることは無理であろう。



いじめ:「なれ合い型」指摘に現場でさまざま声

 いじめの温床になりかねない「なれ合い型」学級にならないように--。河村茂雄・都留文科大教授が、独自の調査で学級の特性といじめとの相関関係を突き止めたうえで示したユニークな指摘に対し、現場の教員や校長からは「教師がいじめに加担するというのは人ごとではない」「若くて頼りない先生が陥りやすいのでは」など、さまざまな声が上がった。

 東京都内の50代の区立中男性教諭は「若いころ、うけを狙って授業中、ある子に『お前は今日も顔が黒いなあ』などと言ったことがある。その子は人気者だったが、身体的な特徴を口にすることはいじめのきっかけとなりかねず、今思うとぞっとする」と話す。

 関東地方の現職小学校長は最近、若い教員から相談を受けた。受け持ちの教え子から「バカ」「死ね」と言われ、どうしたらいいのか分からず悩んでいたという。「勉強はできても本音で子供と向き合えず、不安を抱えながら上辺はニコニコする。そんな頼りない先生が『なれ合い型』に陥りやすいのでは」

 「親や世間からの激しいバッシングにさらされ、教師の権威が失墜したことが『なれ合い』増加の背景にある」と指摘するのは、埼玉県の60代の元県立高校長。一方で「一人で多数の教え子と日々激しくせめぎ合い、時には妥協せざるを得ない場面もある。教職の大変さをもっと知ってほしい」と理解を求めた。

 河村教授は、子供への心理テストだけでなく、現場の事例も多数集め、実際に悩んでいる教員にアドバイスをして解決に導いたこともある。「なれ合いを避けるには、一人一人の声に注意深く耳を傾ける一方で、全体に対しては最低限のルールを毅然(きぜん)とした態度で示し、ルール違反には例外なく厳しい姿勢で臨む必要がある」という。

 ルールが示されない学級では不安定な状態を避けるため、3~4人の小集団が多数生まれる。河村教授はこれを「不安のグルーピング」と呼ぶ。この小集団は排他的で、共通の秘密や共通の敵(いじめの標的)を作り出すことで結束を強める。

 早い段階で対処しないと、小競り合いが激化して学級崩壊に至るか、発言力のある子供が他の集団を従え、教室を支配する。「特定の子やグループの教室内での力が教師の指導力を上回れば、いじめや問題行動は止められない」と河村教授は警告する。【井上英介、吉見裕都】

毎日新聞 2006年11月24日 3時00分




大変なのは何も教職者だけではない。それと「教師の威厳」を放棄したのは教員自身であるからして、勘違いしないように。

。「なれ合いを避けるには、一人一人の声に注意深く耳を傾ける一方で、全体に対しては最低限のルールを毅然(きぜん)とした態度で示し、ルール違反には例外なく厳しい姿勢で臨む必要がある」という。


これが重要であるのだが、このことを理解出来ない人間が・・・・社会人の常識として身に付けておくべきことが出来ていない教員に秩序ある学級運営が出来ないのは自明の理。


教育委員会、学校管理者、現場の人は悪戯に「ママメール」を怖がってはいけない。集団生活とは、団体行動とはどういうものなのかを思い起こし、道徳観に即した指導を徹底しなければならない。勿論、それが出来る資質ある教員を育てることが前提であるが。

現場の(担任)先生だけではどうにもならないよ。学校単位で確固たる道徳ビジョンを示すこと。それによって多少は保護者との軋轢を生じることもあろうが、それは学校長など管理職が厳正に現場教師を擁護すればよろし。


それが出来ないのであれば、日本政府から指示命令を受けるのも仕方がないであろう。

教育関係者、教員の受動的体質が明白になることだろう。