世界遺産にだあ?


この本は、爆笑問題の太田光と文化人類学者である中沢新一の『日本国憲法第9条』をテーマにした対談を一冊にまとめたものです。

 「今、憲法九条が改正されるという流れになりつつある中で、10年先、20年先の日本人が、『何であの時点で憲法を変えちゃったのか、あの時の日本人は何をしていたのか』となった時に、僕たちはまさにその当事者になってしまうわけじゃないですか。それだけは避けたいなという気持ち、そうならないための自分とこの世界に対する使命感のようなものがすごくあるんです」と、太田氏は本書の冒頭で述べています。

 太田氏に限らず、この思いは現代を生きる日本人の多くが抱えている思いでしょう。グローバリゼーションが台頭し、世界中でテロや紛争が起き、閉塞感に満ちた現代。今、もし、憲法九条が改正され、0歳の赤ちゃんが20歳になったとき、その子が戦争に刈りだされるとしたら、私たちはその子に対し、どうやって責任を取ることができるのでしょうか。そう考えると、今の日本で子供を産むことさえ躊躇われるではありませんか。

 日本国憲法は、太田氏の言い方をすれば「ちょっとやそっとでは起こりえない偶然が重なって生まれた」ものです。「日本人の、15年も続いた戦争に嫌気がさしているピークの感情と、この国を二度と戦争を起こさせない国にしようというアメリカの思惑が重なった瞬間に、ぽっとできた。これはもう誰が作ったとかいう次元を超えたものだし、国の境すら超越した合作だし、奇跡的な成立の仕方」であり、「あの血塗られた時代に人類が行った一つの奇跡」なのです。

 さらに中沢氏は付け加えます。日本国憲法は戦後60年という短い歴史しかもっていないようですが、「じつは一万年規模の歴史性を持った平和思想」なのだと。つまり、そもそも「アメリカ建国精神がヨーロッパの自由思想と先住民の平和思想との合作」であり、その「アメリカ先住民の思想というのは、環太平洋のいろんな民族が共通に持っていた考え方のなかから、一つの理念を抽出したもの」であるため、「日本国憲法の精神の底流を流れているものは、大きな人類的な思想の流れ」なのだと言うのです。

 「そういうものが、現代国家である日本の基礎にすえられてきたわけですから、この現象は世界遺産というか保存すべき貴重種」なのではないか、アメリカに押し付けられたものだからいらないなどと短絡的に考えるべきものではないのではないか、と述べているのです。

 憲法九条があるから、護憲と改憲の狭間で日本人は迷い揺れ動く。一度なくしてしまったら、もう取り戻すことはできない。この本は、日本人よ大いに迷いなさい、そして自分の考えに責任を持ちなさいと、無責任で無自覚な我々を叱咤激励しているように思えます。

(内山千尋)




ブログ管理者:Fooling

上記朱書き部分は特にバイアスがかかっているところだな。呆れてしまう、真顔で出版するかぁ? 「地球市民」の考えることは全くもって面白い。お花畑が満開である。蝶が舞い、鳥が歌うって感じかな┐( ̄ヘ ̄)┌


我々当事者は嘘で塗り固められた歴史を教わり成長してきた。しかし、ここに来て歴史の真実が露呈したことにより、また、マスコミの偏重報道が明るみになり、これまでの日本政府の対応が如何に杜撰であったかを知ることとなった。


安全保障の問題は、こいつらみたいなお花畑人間が論ずるものではない。糞の足しにもならない。あっ失礼、言論の自由でしたね。スマソ。


今だからこそ、欺瞞にみちていた過去を払拭できるのだ。世論を扇動してきたマスコミの捏造がネットで暴かれ、特に「新聞社は報道を正確に伝えない」とこが明白になった。我々の世代は、これを是正すべく努力しなければならない。今やらなければ将来を背負う子供達に示しがつかない。嘘を、捏造を放置してはいけない。


現日本国憲法の成立は奇跡でもなんでもない、米国の素人が1週間で作った「日本を欧米列強に二度と歯向かうことがないように」と押し付けたものだ。そこには崇高な理念なんぞは存在しないのだ。



GHQと渡り合った白州次郎でさえこうだ。

晩年の白洲が政治家として最も評価していたのは宮澤喜一であったが、白洲正子は、これを「白洲も人を観る目がなかったのね」と評している。