実弟岸氏ら奥州訪問
安部晋三官房長官の実弟の岸信夫参院議員らが30日、阿部氏一族ゆかりの奥州市衣川区の神社などを訪れ、自民党総裁選の必勝を祈願した。
安部一族が守護神とした磐(いわ)神社での必勝祈願には、地元の支持者らも含め約130人が参加。「安部総裁・首相の誕生」に向けて結束することを誓い合った。
岸議員は区内の一族の鎮魂碑を訪れて手を合わせ、「安部家のルーツの地で、多くの方に兄を応援していただき、感謝している。兄とともに中央と地方の格差是正に取り組みたい」と話した。
訪れたのは岸議員のほか、山本一太参院議員、自民党岩手県連会長の玉沢徳一郎衆院議員ら。
ブログ管理者:歴史をおさらいしてみましょうね。
「安部貞任」 (1019~1063)
安部貞任(あべのさだとう)は鬼切部の戦いを端緒とする「前九年の役(1051~1062)」で、国守の敵人として最後まで戦い抜いた人物です。
その父は11世紀初頭「東夷の尊長」として奥六郡(衣川以北の北上川流域の地といわれる)を支配していた安倍頼良(後に改名して頼時)でした。その父の戦死後も、貞任は安倍氏総師として源頼義(988~1075)らの率いる朝廷軍と激闘を繰り広げ、まさに「兵」という言葉が似つかわしいような人であったようです。
多賀城を本拠にして北上川沿いに安部貞任を追って北上してきた源頼義率いる追討軍は、衣川の柵に拠った安部の軍勢を僅か一日で破りました。敗れて北へ落ち行く貞任と追撃する源義家(1042-1106:通称:八幡太郎)が
「年を経し糸の乱れのくるしさに、衣の館はほころびにけり」
と詠み合ったのはこの時のこと。こうして十一年間続いた前九年の役は幕を閉じます。
「前九年の役」について記した軍記物語『陸奥話記』によると、貞任の容姿は、身長が六尺 有余(1.8メートルあまり)、腰回りが七尺四寸(2.24メートル)、皮膚肥白という大男であっ たそうです。正確な史実とは言いがたいですが、見る人に強烈な印象を与えずにはおかない、堂々とした身体ではあったのは事実と思われます。
この巨漢の英傑には、敵地ともいえる国府の地多賀城に、意外にも美少女「おもわく」との恋物語などが伝説として残っています。
貞任は、彼女に思いを寄せ、彼女の家に通うため玉川に橋をかけさたので、その橋を「安倍の待ち橋」または「おもわくの橋」と呼ぶようになったそうです。
貞任の妻となった人については、詳細は不明のようですが、『陸奥話記』では、安倍氏の女性たちのたどった運命として、厨川でついに安倍軍が壊滅した後、その多くが捕らえられ敵であった将兵に与えられたという悲しい逸話を伝えています。
また同じく『陸奥話記』には貞任の弟の一人、則任の妻(『今昔物語』では貞任の妻としていますが)について次のような話を記しています。
則任の妻は、ひとり三歳の男(子)を抱き、夫の語っていう。
「君、まさに没っせんとす (戦死するの意)。妾(たくし)独り生くることをえず、請う、君の前にまず死なんとす。」
と。 すなわち、たちまち子を抱いて自ら深淵に(身を)投じて死す。一烈女というべし。
悲劇的な最後です。
また、貞任とともに朝廷軍を悩ませた藤原経清は惨殺され、その妻は7歳になる息子を連れて、朝廷側について安倍氏を攻撃した清原武貞と再婚することとなりました。
このときの子供が後の平泉藤原氏の初代清衡となるのです。
Designer's note 氏のサイトから引用させていただきました。
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