日本

先ず、8月15日靖国神社参拝を軍国主義復活とか訳のわからん事ぬかす連中及び中・韓に一言・・・・それだったら対米覚書(宣戦布告)を手交し、真珠湾攻撃をした12月8日こそ妥当ではないのかはてなマーク 敗戦が確定した日に参拝をして、軍国主義復活の意味があるのか。


この日が意味することは、全世界の帝国主義が崩壊したことである。それまでの国際常識は欧米列強の帝国主義であり、他国に対する植民地化政策であった。それをこともあろうに東京裁判で「事後法」である「平和に対する罪」・・・つまり「侵略戦争」を起こしたと連合国が決め付けたのである。侵略の定義は曖昧である。

欧米列強は散々侵略しておいてそれを棚に上げ、東条元首相を始め戦犯認定を一方的に行い、世界の侵略の全責任を押し付けた形になっていた。欧米列強は「平和に対する罪」には問われないことになる。

また、特に米国は第二次世界大戦を「ファシズム」と「民主主義」の戦いに「民主主義」が勝利した、と位置付けいるため、戦前の日本に「民主主義」が存在していては不都合となるため、明治憲法を否定し、新憲法を押し付けたのである。



ハル・ノート


11月25日米国は大統領と軍関係者とで、どのようにすれば日本に先制攻撃をさせるができるか討議していた。そして11月26日運命の「ハル・ノート」が日本に側に手交された。

内容は、「シナ・仏印からの無条件前面撤兵であり、汪兆銘政権を見捨てて重慶の蒋介石政権を支持すること」であった。これはそれまでの日米交渉を全て無視した米国の一方的な要求であった。日本に戦わずして降服を要求するに等しいものであり、明らかに最後通牒であった。

そしてハル国務長官は、スチムソン陸軍長官に「わたしはもう交渉から手を引いたから、問題は陸軍と海軍の手に移った」と述べた。これはもう外交交渉は打ち切ったので、戦争準備に入るようにという示唆であった。

戦時中英国保守党の重鎮オリヴァー・リトルトン生産相は「ハル・ノートで日本をあまりにもひどく挑発したので、日本は真珠湾攻撃に追い込まれた」と発言した。また、駐日英国大使クレーギーは「ハル・ノートは日本の国民感情を無視するもので高尚決裂も止むを得ない」と述べた。ルーズベルトのライバルと目されたハミルトン・フィッシュ下院議員は「ハル・ノート」の存在を知ると、それを「恥ずべき最後通牒」と批判し、「日本は自殺するか、降服するか、戦うかしかない」と述べた。東京裁判でパール判事は次のように述べた・「現代の歴史家でさえも次のように考えることができるのである。すなわち「ハル・ノートのような通牒を受け取ったら、モナコやルクセンブルグ大公国でさえも合衆国に対しほこをとって立ち上がったであろう」

「大東亜戦争への道」 中村 粲


このハル・ノートはハリー・ホワイト財務次官補が起案したものである。そしてこのホワイトが実はソ連のスパイであり、日本がとうてい受諾できない内容を盛り込み、日米開戦を誘発したのである。戦後ホワイトはスパイであることが発覚して自殺している。

「重光・東郷とその時代」 岡崎久彦


日本にとっては満蒙・シナにおける諸権益は死活問題であったが、そこから日本軍に手を引かせることが、果たして米国国民とってあれだけの犠牲を払ってまでまで守るべき政策であったのか疑問である。そして戦後シナは共産化し、米国が主張して止まなかった「門戸解放」どころか、門戸を固く閉鎖してしまった。


ハル・ノートを受け、12月1日御前会議で開戦が決定された。





東京裁判史観


起訴状から窺われる「東京裁判史観」といわれるものは以下の通りである。

1.日本の起こした戦争は全て「侵略戦争」であると決め付けている。パリ不戦条約に違反する「国家犯罪」であるとした。

2.この「侵略戦争」という「国家犯罪」を計画・実行したのは一部の軍閥で、国民はそれに騙されていた。ドイツにいけるナチスと一般ドイツ人とを分けようとする理論と同じである。日本人も長い戦争に苦しんできたので、軍部に対する不満もあり、このようなロジックに、はまりやすかった。

■日本の指導者は悪いが、日本国民とは友好的だ・・・・これが象徴的ロジック。

■戦争体験者の語り部・・・・・軍部に対する不満。話を聴くとこればっかり。部活動で嫌な先輩がいた・嫌な事をやらされたと、同程度のレヴェル。

青字はRandy追記。


3.しかし、一般国民は無罪かというとそうではなく、シナ大陸・東南亜細亜諸国に対する侵略者・加害者と位置付けられ、責任は日本国民全体が負うものとされた。

「さらば東京裁判史観」 小堀圭一郎



結局「東京裁判」は、日本を「侵略者」に仕立て上げる連合国・米国の戦略の一環に過ぎなかった。

しかし、何時の時代も勝者に媚びる者はいるもので、横田喜三郎もその一人である。彼は「東京裁判」当時は東京大学教授で、裁判中にマッカーサーの「極東国際軍事裁判所条例」を擁護していた。

「東京裁判」は「世界が最後の審判を下したものにほかならない」とキリスト教の神の裁きの如き表現をし、日本の「自衛論」が粉砕された、日本の戦争は「20年間の侵略」である、と連合国側の立場で判断している。さらに実効性を欠いてる「パリ不戦条約」を持ち出し日本を断罪した。

この横田喜三郎が、後に最高裁判所長官になり、勲一等旭日大綬章を与えられた。

■この流れをくむ人間が現在の裁判所にいるのだ。お花畑な判決を出した大阪と仙台の裁判官・・・主文ではなく、感想欄に・・・あぁ、なんていうか忘れた・・・・それなのにメディアは違憲判決が出たと、事実を捏造するのだからたちが悪い。

青字はRandy追記。




小泉日本国総理大臣殿 本日は堂々と参拝されたし。