母の命の日に思うこと | アトリエ*foola 『人生はひまつぶし、暮らしはくりかえし』

アトリエ*foola 『人生はひまつぶし、暮らしはくりかえし』

毎日のくりかえしの中のことをつれづれに記録。
好きなモノやお気に入りのモノを紹介したり
これからやっていきたいモノ創りのことも・・・。

4月19日は母の命日、命の日でした。


つらつらと書いてみます。



前の日は、看取り士 かーらー のお話を聴いたこと。

当日も翌日も大切な友達と話せたこと。




母の計らいを感じます。




父に、今日はお母さんの日だねと電話して

はじめて母の最期の時のことを聴きました。




癌に蝕まれた身体の痛みとたたかった日々が長く

最期はその痛みとたたかうのに疲れ果てたかのように
静かに旅立ったそうです。



何か遺した言葉はあったの、と聴くと

もう言葉はほとんど無かったけども



イタイ



と言ってたようです。




看取ったのは、父と、母のお母さんでした。


よかった


と、思いました。



夕方まだ17時のメロディが流れる前でした。

友達と遊んでいたところへ、伯母が迎えに来ました。

手を繋いだ伯母は何も言いませんでした。




家に帰ると、セーラー服の姉が泣いていました。



弟はいつものように元気にしていました。



私はなんとなく事の次第が分かったけど、泣いてなかったように思います。


弟も。




私たちは小さすぎて、母の死がよく分からなかったのかな。


母がいない暮らしに慣れすぎていて、そんなに実感が無かったのかな。




今ちょっとだけ、大声で泣けばよかったなと、あの時の自分に言ってあげたい気がします。



父は毎日車で1時間かかる病院へ仕事が終わってから母に会いに通っていました。


その道中に、家々の明かりを見て


あの明かりの下には


きっと自分と同じような思いをしている人もいるだろう


一家団欒している家もあるだろう



そんなことを思いながら車を走らせていたそうです。


手の施しようがなくなり、


家に戻って居間の一角に仕切りをして母はベッドで寝たきりになっていました


私は時々母のそばにいったけど


あんまり甘えることはしなかったように思います


それどころか母を困らせるウソをついてしてしまい


後々まで後悔することとなりました。



母は痛そうにはしていたけど、いつも静かでした。


商売屋で賑やかでとても繁盛していた頃だったので


母は賑やかな居間の一角で家族と居れたこと、きっと良かったのかなと今ふと思います。



父は当時、癌の特効薬と騒がれた

高額な丸山ワクチンを何度も東京まで買いに行ったそうです。


私が丸山姓になったことも縁を感じます



なんかね


母は35歳の短い一生だったけど


父や家族にたくさん愛されたんだなと思います。


病気をしたからこそ生まれた夫婦の時間もあったんだと思います。


父が毎日来てくれるのを楽しみに楽しみにしていたと思います。


人はみんな寂しくて心細い。


父も母も精いっぱいパートナーシップをやったんだと思います。



母は幸せな人生だった。



母はどうして病気になったのかなと考えてみると



とても頑張り屋で頭が良くて人望も厚く手が器用で何でも出来る人だった



と聞いてます。



ぎゅぎゅーっと人生前半に詰め込んじゃったんでしょうね。


母の生きざまから私は何を得て


どう生きる





母は私のそばにいつもいて


あなたの思うようにいろいろやってみせて


って応援してくれてる気がします。



もーっと笑って


もーっと甘えて


もーっと弾けて


もーっと遊んで


もーっと命使って仕事して


何でもやっちゃえ〜ってね。



誰ひとりとして感謝に値しない人はいません。


私に出逢ってくださった全ての人


心から心からありがとうございます。



もっともっと、人生豊かに面白く。



ふ〜ら


{5AACCB83-B7A8-4E7E-980D-955A9AA69B98}
ある日のランチ 美味しかった