【第1章】
「“やりたいこと”を探す人生は、本当に自由か?」
夜、ふとスマホを手にとって眺めるSNSの画面。
そこには、“好きなことで生きていく”人たちが眩しく映っている。
カフェを起業した人、旅を仕事にした人、オンラインで自由に働く人。
「こんな生き方、素敵だな」
「私も、いつかは……」
そんなふうに思ったことが、あなたにもあるかもしれない。
けれどその一方で、こんな問いも浮かんでこないだろうか。
「“やりたいこと”って、いつになったら見つかるの?」
「今のままじゃダメな気がして、ずっと焦ってしまう…」
この“探す焦り”が、自分の心を追い詰めていると気づいていても、
止められない。
むしろ、“やりたいことが見つからない自分”をどこか責めている。
しかしここで、冷静に問い直してみたい。
本当に、やりたいことを探す人生は自由なのだろうか?
それは、本当に“自分の人生”なのだろうか?
■ SNSという“自由”の呪い
情報があふれる時代。
私たちは「選べること=自由」だと信じている。
けれど実際には、「無限の選択肢」によって、
自分の正解を見失い、誰かの物語に飲み込まれてしまう。
「旅をしながら稼げるようになりました」
「好きなことだけで生活しています」
そう語る人々の投稿に、
私たちは“比較”と“劣等感”という感情を無意識に抱く。
そしていつの間にか、“やりたいことを見つける”という行為が
“生きる意味を証明する”ような義務にすり替わっていく。
■ 哲学視点:それは“意志”か、“逃避”か
ニーチェは言う。
「生とは、自らを超え続ける力への意志である」
つまり、生きるとは、外に何かを“見つける”ことではなく、
内から何かを“生み出す”ことなのだ。
やりたいことが「他人の生き方」や「比較」から来ているなら、
それは“意志”ではなく、“逃避”である可能性がある。
逆に、痛みや矛盾を自覚した上で、
なお自分の手で“何かを創ろうとする意志”こそが、
人生を“自由”にする根源的な力だと、哲学は教えている。
■ 老子の智慧:「無理に掴むな、委ねよ」
老子の言葉には、こんな一節がある。
「聖人は無為にして、事を成す」
無為とは、「何もしない」ことではない。
“流れに逆らわず、自然に委ねる”という生き方のことだ。
「やりたいことを早く見つけなきゃ」
「今のままじゃ遅れてしまう」
そうやって自分を急かすとき、
私たちは“流れ”ではなく“焦り”に従ってしまっている。
老子ならこう言うだろう。
「それは、お前の道ではない」
■ “探す人生”は、誰かの構造にハマる人生
ここで、濵口明宏の思想を紹介したい。
「“自由”を掲げながら、誰かの構造に飲み込まれていないか?」
誰かの成功法則、SNSのテンプレ、
「これが理想の生き方」とされる型に自分を合わせようとすること。
それは“自由”を求めているようでいて、
実は“構造に従っているだけ”かもしれない。
■ 自分にとって“自然な道”とは何か?
大切なのは、“やりたいこと”ではない。
“自然と手が伸びる方向”や、“苦しさの中でもなぜか続けてしまうこと”。
それこそが、あなたにとっての“無為自然”ではないだろうか。
✅ミニワーク①
「あなたが“やりたいこと”と呼んでいるものは、誰の言葉ですか?」
-
その言葉を、誰から影響を受けたか書き出してみてください
-
「やらなきゃ」という焦りの根源を探ってみましょう
-
本当に“自分の意志”として語れる言葉なのか?見直してみましょう
【第2章】
「“やりたいこと”が見つからない人は、なぜ苦しむのか?」
「本当にやりたいことが見つからない」
「何をしても、どこか心が満たされない」
そんな言葉を、あなたも一度は口にしたことがあるかもしれない。
努力しているのに、進んでいる気がしない。
焦って動いても、空回りする。
自己啓発書や成功者の言葉に励まされる一方で、
深いところで、自分の本音とズレていくような違和感が残る。
なぜ私たちは、「見つからない」ことにこれほどまでに苦しむのだろうか?
■「何者かにならなきゃ」の病
そこには、現代特有の“構造”がある。
SNS、動画、広告、そして無数のストーリー
“人生を変えた人”の物語が毎日流れ込み、
「このままではダメだ」という空気が私たちを包む。
気づけば私たちは、
「何者かにならなきゃいけない」という前提で生きている。
“何かをしていない自分には価値がない”
“立ち止まっている自分は、遅れている”
この無言のプレッシャーが、
“やりたいことがない”という状態を“罪悪”に変えてしまうのだ。
■ “空白”に耐えられない社会
やりたいことが見つからない──
この空白の時間は、本来とても大切な時間のはずだ。
内省し、自分と向き合い、静かに思考を深める時間。
けれど今の社会は、“空白”を許さない。
「何かしていないと不安になる」ように仕組まれている。
“空白”とは、見えない価値を宿す余白。
けれど、常に情報と刺激がある世界では、
この余白が“無価値”に感じられてしまう。
本当は、“見つからない”状態こそが、
深い問いへの入り口なのだ。
■ 私の思想 空白は、構造に飲み込まれない唯一の方法
私は語る。
「“空白”を恐れる人間は、誰かの物語に従うしかなくなる」
この言葉は痛烈だ。
何かで埋めたくなる衝動を抑えきれず、
“とりあえずやる”という選択をする。
けれどそれは、本当に自分の意志だろうか?
それとも、空白を恐れた結果、
誰かの“テンプレート”に乗ってしまっていないか?
“空白を持てる人間”だけが、
本当の意味で“構造を見抜ける人間”なのだ。
■ 孫子の智慧:「勝てる戦しかしない」
戦略の書・孫子にはこうある。
「彼を知り己を知れば、百戦殆うからず」
「勝てぬと知って戦わぬことが、最上の知である」
やりたいことが見えない今、
無理に動くことは“勝てぬ戦”かもしれない。
それなら、今は“観察と思考”のとき。
誰かの物語に乗る前に、
まずは“己を知る”ことに集中する。
それこそが、次の選択の“勝率”を上げる本質だ。
■ あなたの“焦り”の正体は何か?
「何者かにならなきゃ」
「早く道を見つけなきゃ」
その背景には、きっと“怖れ”がある。
・置いていかれる怖さ
・自分には何もないという怖さ
・人に認められない怖さ
けれど、こう問い直してみてほしい。
「“何者か”にならないと、あなたは本当に価値がないのか?」
✅ミニワーク②
「“焦って決めた選択”は、どのような結果を生みましたか?」
-
思い出せる具体的な場面を1つ、書き出してください
-
それは、本当に“自分の選択”だったでしょうか?
-
次に選ぶとしたら、どう違う決断ができますか?
【第3章】
「“探す”から“創る”へ──誰の物語にも属さない人生を」
“やりたいことが見つからない”という苦しみ。
その多くは、私たちが「見つけなければいけない」と思い込んでいることに原因がある。
けれど、そもそも問うべきはこうではないか?
「私たちは、見つけるために生きているのか?」
「それとも、創るために生きているのか?」
■ “探す”という構造に埋め込まれた罠
「探す」という行為には、前提がある。
それは、“正解がすでにどこかにある”という考えだ。
この前提に立つ限り、私たちは常に“誰かの正解”を探し続ける。
検索、情報収集、比較、模倣──
いつの間にか、自分の人生が「誰かの引用」で埋め尽くされていく。
けれど、人生の正解は他人の言葉の中にはない。
他人の答えをどれだけ追いかけても、
そこに“自分の声”は宿らない。
■ ニーチェの問い:「おまえの人生は、おまえ自身のものか?」
哲学者ニーチェは、徹底して“自己の創造”にこだわった。
彼はこう問いかける。
「おまえは自分の人生を、自分で書いているか?」
「それとも他人に脚本を渡し、演じているだけか?」
これは厳しい問いだ。
だが、この問いに目を逸らさずに向き合うとき、
人ははじめて「創る」という生き方に目覚める。
■ “創る”とは、迷いながら選ぶこと
「創る」とは、完成された何かをいきなり生み出すことではない。
むしろ、選択の積み重ね、試行錯誤、迷い、後悔──
そうした“不完全さ”を抱えながらも、自分の手で紡いでいく姿勢だ。
“創る”人生とは、「迷いながらも自分で歩く」人生である。
外から与えられた答えではなく、
内側から湧き上がる違和感・興味・怒り・願い──
それを素材にして、“自分の物語”を編んでいく。
■ 老子の叡智:「水はかたちを持たないから、自由である」
老子の言葉にこんな一節がある。
「上善は水のごとし」
水は決まったかたちを持たない。
器に合わせてかたちを変え、ときに流れ、ときに留まる。
だが、その柔軟さこそが最大の強さなのだ。
人生も同じだ。
「この道しかない」と決めつけた瞬間、自由を失う。
「今はこのかたち」でいい──そう捉えることで、
かたちは変えられるし、自分で“創り変える”ことができる。
■ 私の哲学:誰の物語にも属さず、生きる
私が一貫して伝えているのは、
「誰の物語にも属さない」という強さである。
「あなたの痛みは、誰の正解にも収まらない」
「だからこそ、自分でかたちを創る力を信じてほしい」
痛みは“誠実さ”の証。
迷いは“意志”の兆候。
焦燥は“生きている”という確かな証明。
“創る”とは、この不完全な自分を引き受け、
「それでも前に進む」と決めることに他ならない。
■ 「創る生き方」に変えるための3つの問い
-
誰の物語を生きていると感じるか?
-
いま、何を我慢し、何を恐れているのか?
-
今日、自分の選択で変えられる“一歩”は何か?
この3つの問いは、創造の起点になる。
「私は誰かのストーリーを生きていないか?」
この問いから逃げずにいられる人だけが、
自分の物語を歩み始められる。
✅ミニワーク③
「“創る”人生とはどんなものか?」
-
最近、自分で決めたことは何でしたか?
-
その選択に、どんな自分の“意思”がありましたか?
-
他人に説明できないけど、大切にしたい“感覚”はありますか?
【第4章】
「“やりたいこと”の正体は、“守りたいもの”である」
ふと立ち止まって、自分に問いかけてみる。
「自分は、何のためにここまで頑張ってきたんだろう?」
「何を、守るためにここにいるんだろう?」
“やりたいこと”という言葉の裏には、
本当は“守りたいもの”が潜んでいることがある。
家族、安心、誇り、時間、誠実さ。
あるいは、自分の中にある“痛み”をもう繰り返さないため──
そんな静かな決意から始まる生き方もある。
■ SNSに映らない「戦っている人たち」
現代の情報社会では、派手で目立つ“やりたいこと”ばかりが拡散される。
起業、自由、旅、影響力、発信力──
けれど現実には、もっと静かで、もっと見えない場所で、
“闘いながら生きている人”がいる。
・病気を抱えながら、仕事と家庭を両立している人
・自分の親を支えながら、将来の不安と向き合っている人
・自分の過去を越えようと、誰にも言えない努力をしている人
こうした人たちは、決して“やりたいこと”を叫ばない。
その代わり、“守りたいもの”のために立っている。
■ 哲学視点:善く生きるとは、“大切なものに誠実であること”
ソクラテスはこう問うた。
「君は、自分の魂に対して誠実であったか?」
これは、現代における「成果」や「効率」よりも、
はるかに本質的な問いだ。
本当に大切なものを見失わずに生きること。
それが、“善く生きる”という哲学の出発点だ。
■ 老子の言葉:「自らを知り、満足する者は富めり」
老子はこんな言葉を遺している。
「足るを知る者は富めり」
やりたいこと、理想の未来、もっと多くを求めること──
それは成長の原動力にもなるが、
同時に“今ここ”を見失わせる原因にもなる。
“すでに持っているもの”に目を向けること。
“今の中にある満足”を感じること。
それは決して“あきらめ”ではない。
むしろ、自分の人生を“本当に生きる”ための条件だ。
■ 私の哲学:生き方とは、「どこまで守れるか」の戦いである
私はこう語る。
「“生き方”とは、何を守り、何を捨てるかという戦略の連続だ」
全てを叶えようとするのではなく、
限られた時間・体力・心のエネルギーの中で、
何を優先し、何を静かに見送るか──
それが“構造的な生き方”であり、
誠実に闘い続けるという意味なのだ。
“やりたいこと”がなくてもいい。
“守りたいもの”があるなら、
あなたはもう十分に、生きる理由を持っている。
■ 「守りたいもの」を中心に置くと、生き方が変わる
・「大切な人との時間を守りたい」
・「自分の健康と尊厳を守りたい」
・「過去の自分が報われるような生き方をしたい」
これらは、数字や肩書きでは測れない。
でも、最も強い“動機”になる。
やりたいことがわからないなら──まずは、守りたいものから考えよう。
✅ミニワーク④
「あなたが“絶対に守りたいもの”は何ですか?」
-
人、時間、価値観、空間──何でも構いません
-
なぜそれを守りたいのか、言語化してみてください
-
その守りたいものが、あなたの行動にどう影響していますか?
🎯 結びの問い
「あなたの人生は、“やりたいこと”に向かっているか?
それとも、“守りたいもの”に立っているか?」
どちらが正しい、という話ではありません。
ただ、この問いを持ち続けることが、
“自分の人生を生きる”という誠実な営みなのです。
📝【note案内文】
本記事が、あなたの中の静かな問いと出会うきっかけになれたのなら嬉しいです。
より深く、自分の在り方を見つめ直すためのエッセイや講座構築の舞台裏などは、noteにて発信しています。
▼noteはこちら
🪷【PARKについて】
かつて「PARK」というコンテンツプラットフォームでの連載も検討していましたが、現在は方向性を見直し、noteおよびLINE上での発信に集中しています。
「静かに、でも深く届く言葉」を大切に、今後も自分自身の言葉で世界と対話していきたいと思います。
リンクはこちら
https://park.jp/?outer_ref=INV-N1YKVT
🕊️【最後に】
「やりたいこと」を探し続けるあいだに、
本当の“いま”がすり減っていく。自分を変えようとする前に。
何かを始める前に。一度だけ、立ち止まって――
「自分の人生は、自分で“定義”していいんだ」と、
静かに決めてみてください。すぐに変わらなくていい。
でも、今日という一日が
“誰かの正解”ではなく、“あなた自身の言葉”で塗り替えられていくこと。それが、あなただけの「本当の人生」の始まりかもしれません。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。


