TOEICの日にブログを書きます。


お題は「TOEIC SWは神が作った試験か?」と言う話です。


前田先生が言った(流水さんかも)「TOEICは神が創った試験である」と言う言葉、僕も艱難辛苦を経て来ただけに深い同意と含蓄があるのだけれど、僕的な解釈はこうです。


「神が創った」と言うキャッチーな言葉に過剰反応しがちだけど、言葉のウラは「TOEICは統計的な処理方法を用いてスコアを算出しているので学習者のLRの能力が上がらないとスコアは上がらない」と言う事実を表してる言葉だと理解しています。


「◯◯点を目指すには、どこの問題で何問位正解しなきゃ行けないから何時間必要で、何をやらなきゃいけなくて、、、」みたいな逆算が立てやすいのもそうゆう背景です。


これがTOEICのダークサイドな側面の「スコア鬱」を招く理由だったりもします(僕も一時期なりかけたけど後に離脱)。正確に実力を示すと言う事は、言い訳のしようが無く他責に出来ず、自己責任に帰結してしまってスコア鬱に陥ると言う事です。


ではSはどうでしょうか。


僕の現時点での解は「Sは物差しとして信頼は出来るだろうけど、「神が創った試験」は言い過ぎじゃないか」と言う理解です。


何故かと言うと、ETSのHPによるとSは録音した音声をアメリカに送って、それをネイティブが聞いて採点すると言う方式だらしいからです。


つまり、会社の採用試験とか評価査定とかと同様人の判断が入るのですねー(受験者の覆面方式やら複数人チェック方式やら取り入れているようだけど)。


ココが平等に(残酷に)現実を突きつけられるLRと違う所で、人の判断基準で採点されると言う事は、ある意味学習者にとって精神的に健全な状態を保てると言う事です。


「今回は何点だったけど、まぁどっかの外人のお気に召さない声質だったのかもしれないし、どうゆうルールかも良く分かんないし、普通に外人の友達とは飲んでるし、株価も高いし、明日も勉強がんばろー」と思えるゲームを戦っていると言う事は取り用によっては健全だと思うわけです(裏返すと結果が良くても謙虚で居られる)。


それを踏まえた上で、僕はこの勝負に乗り出そうと思っているのですが、僕のスコアは皆さんに開示している通りなので、あんま説得力無いですね笑。