義母との最期の言葉が頭をよぎり実家へ戻る事はしませんでした。
旦那は母を亡くし、その母のお葬式にも参列出来ず、術後の傷の痛みで睡眠不足、そして初めての抗がん剤治療を目の前に様々な思いがあったのだろう。
私は彼の気持ちを理解したかったが、それは難しかった。
日本で彼を支えることは私しか居ない、日本に居る家族は私と子供だけ、そう思い改めて旦那と向き合うことにしました。
抗がん剤治療入院の初日、旦那に付き添いたかったが子供を預ける先がどうしても見つからず自宅に留まっていた。
私がもし抗がん剤治療をするとして、その治療初日に誰も家族が傍に居なかったら不安で押しつぶされそうな気持ちになるだろう、そう思うと申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
何かあったらナースが居るし、抗がん剤のせいで気分が悪くなるかもしれないから、かえって来ない方が良いだろうと旦那は言った。
抗がん剤治療が始まる時間になると病室に一人でいるであろう旦那の事を思い泣いた。傍に居たかった。
それからの一ヶ月は毎日病院へ通いました。子供を両親に託し、ある時は1人で、またある時は子供を連れて面会に行きました。
夕方から夜は子供と2人、自宅で過ごしていましたが、不思議な事にその記憶が私には全くありません。
離婚する前の精神科での夫婦カウンセリングの際に、その事について医師に話したところ、極度の緊張や疲れの為に記憶が無くなったのだろうと言われました。未だにその記憶はありません。
旦那が抗がん剤を開始して数週間経ったところで毛髪が抜け始め、匂いに敏感になり病院食を受け付けなくなった。
「デコポンが食べたい」と言うので毎回デコポンを差し入れた。まるで妊婦さんのようでした。
一ヶ月の入院を終え無事に自宅へ戻ると旦那は話し始めた。
亡くなった母のことだった。
何回も何回も夢をみたし、会いたいと思った。お葬式に立ち会えなかった事に罪悪感を感じているようだった。
義母はそれを気にするような人ではないと私は旦那へ伝えた。それは彼が一番分かっているはずだ。
治療が全て終わって寛解したらオーストラリアへ帰ってお墓参りをすればいい、今は自分の治療に専念するようにってお義母さんだってそう思ってるよ、そう伝えると彼も「そうだな。」と納得した。
私と義母の付き合いは勿論子供である旦那のそれと比べたらほんの少しの間であったが彼女の考え方や子供に対する姿勢は私でさえ理解できた。
旦那は義母が40過ぎて出来た子供だったから特別に可愛かっただろう。
オーストラリアを離れて日本で子供を出産し育てると聞いた時はどう思ったんだろう。
義母は反対しなかった。
「貴方達がそうしたいならそうしなさい。」
自分の子供が成長し結婚し、子供が出来て、別の国で出産し育てたいと言われたら義母のように言えるだろうか。
義母は偉大な母でした。