うちの相方はつい最近までバスに乗り遅れた人がいると声をかけ、車が止まっていると一緒に押したりする放っておけないおじさんだった。


一度私と一緒に車に乗っている時に、バスに向かって走っている男の人がいて、そしてその人は乗り遅れた。

相方が窓を開け

「あれに追いつきたいの?」

「はい」


素早くその人を乗せ、2つ先のバス停で追いつき その人は乗る事が出来た。


横に居た私は嫌な顔はしないものの、心地がいいと言う気持ちではない。
とくにLAではバスを利用する人はたいてい車を所有できない人だったりするので心配になってしまうのだ。


悪い人だったらどうするんだろ


これ普通に考えるよね。

 

ここはLAだし。

 

そして相方に「今は不況で物騒な人が増えてるかもしれないし、知らない人を車に乗せるのはやめて欲しい」


と伝えた。 それから車には乗せないものの、エンストした車を見つけたり、パンクした車を見つけると止まらずにはいられないようなので これはあきらめて私も一緒に車を押したりしてる。


この前は運転免許を取ったばかりのメキシカンの男の子のボロボロの車が信号待ちでストップしたまま動かなかった。 3車線だけども交通量はそんなに多くなかったので 車を後ろにつけて声をかけた。
誰一人止まる人はいなく、横をびゅんびゅん追い抜いて行く。

どうやらガス欠らしく、この信号を越えたら角はガソリンスタンド、というところで動かなくなったらしい。 スタンドは目の前だ。
免許取り立てで不慣れなのか、どうしていいかわからない様子で立ち尽くしていた。

メキ男君と相方が車を押して、私は相方の車でハザードをつけながら付いて行く。

ガソリンを入れたらOKなので私達はそのままバイバイした。


気持ちは清々しい。


やはり車に知らない人を乗せるのは嫌だけど、こういう事なら私も賛成だ。


そんな中、こんな記事を見つけた。

 

 

 

僕は道路で誰かを見つけると車を停めていたのだけれど、都会に引っ越してからは彼女が他人を乗せることをあまり快く思っていないようだったので、だんだん誰かを乗せることは減っていった。

ところがあることが僕の身に起こり、それからは以前のように習慣的に人を乗せている。少し長い話になるけど、そして路上で起こったということ以外はヒッチハイクに関係のない話だけど、ちょっと書かせて欲しい。

 

 

この1年の間に車のトラブルが3回もあった。タイヤのパンクと、ヒューズが飛んだこと、それからガス欠だ。その3回ともが他人の車を運転していたときに起きたので精神的に非常つらく、ジャッキと予備のヒューズを車に載せていたことと、ガス欠のときは下り坂を向いた状態で車を停めてはいけない知識を持っていたこと以外は、最悪と言う他は無かった。

 

とにかくそんな最悪のとき、誰も見向きもせず助けてもくれないことに落胆していたんだ。何時間も高速の隅でAAA(日本のJAFに相当)を待ちながら、何台もの車が通り過ぎるのを眺めていた。訪れた4つのガソリンスタンドはどこも「あなたの安全のため」と言う名目でガソリン容器を貸してくれず、その代わりフタのない1ガロンの容器を15ドルで売ると言われた。『もうこんな国は地獄に落ちてしまえ』と思うに十分な出来事だった。

 

だけどそんな折に3回とも誰が救助してくれたのか、わかるだろうか。

移民者たちだった。メキシコ移民だ。みんな英語もろくに話せなかったけど、特にその中の1人は僕に深甚な影響を与えた。

 

 

その男はタイヤがパンクしたときに停まってくれた人で、彼の家族6人全員で僕を助けてくれた。大きなジープの後ろのタイヤがパンクしたため4時間近くも立ち往生していた。スペアタイヤはあったけれどジャッキがなく、車に大きく『ジャッキを貸して下さい お礼をします』と掲げてみたけど、運に見放されていたようだった。

もうあきらめてヒッチハイクでもしようかと思ったそのとき、1台のバンが止まり男が車から下りてきた。

 

彼は僕のトラブルを見て取ると英語を話せる娘さんを呼び、彼女を通してジャッキは持っているがジープには小さすぎるので、突っ張らせないといけないと伝えてきた。彼はバンからのこぎりを取り出してくると道路脇の丸太を切った。それを二人で転がし、その上にジャックを置いた。そしてタイヤを取り外したのだけど、そこで僕は彼のタイヤレバーを壊してしまったんだ。壊れやすいタイプだったこともあり不注意で折ってしまった。

 

彼は気にするなとバンに戻って自分の妻に渡すと彼女は一瞬のうちにいなくなり、タイヤレバーを買いに行ってくれた。15分して彼女が戻ってきたころには僕たちは作業を終えていて、すがすがしい気持ちだった。

2人とも汗にまみれて汚れていたので妻が手を洗うための水を渡してくれた。

それから僕が彼に20ドルを手渡そうとすると受け取ってくれなかったので静かに妻に手渡した。

 

感謝でいっぱいになりながら、小さな女の子にどこに住んでいるかを尋ねてみた。このすばらしい行為のお礼に何かプレゼントでも贈ろうと思ったんだ。彼女はメキシコに住んでいると答え、お父さんとお母さんは桃を狩るため数週間だけ滞在しているのだと教えてくれた。その後でさくらんぼ狩りをして、それからメキシコに戻ることもわかった。ついでに彼女は僕にランチを食べたか聞いてきた。僕が食べていないと答えるとクーラーボックスからタマーレ(メキシコ料理)を手渡してくれた。今までに食べたこともない一番おいしいタマーレだった。

 

 

はっきり言えるのは、間違いなくみんなや僕よりも貧困な家族が、そしてみんなと同じく時間がとても大事だというそんな時に、1時間も2時間もかけて道路で困っている見知らぬ男を助けてくれたってこと。レッカー車ですら横を通り過ぎていったというのに。

 

だけどこの話はここで終わらない。彼らに感謝を述べて自分の車に戻り、空腹でたまらなかったのでタマーレのアルミホイルを開けてみたんだ。するとそこで見つけたものは20ドル紙幣だった。

僕は振り返ってバンまで走った。彼はウィンドウを下げて僕の手に20ドル紙幣があるのを見ると、いらないと言うように首を横に振っていた。僕は『ポルファボール、ポルファボール(英語のプリーズ)』と言って手を差し出したけど彼は笑顔を見せてもう一度首を横に振り、大きく集中しながらありったけの英語を絞り出してこう言った。

 

『“Today you….Tomorrow me…."(今日、あなた…。明日、私…。)』

 

そしてウィンドウを上げると走り去って行った。彼の娘さんは後ろの窓から僕に手を振っていた。僕は車に戻ると最高のタマーレにかぶりつきながら泣いた。小さな女の子のようにただ泣いていた。きつい1年だったけど僕がそこまで折れたことなんてなかった。その時だけは放心して、どう心の整理をすれば良いのかわからなかったんだ。

 

僕はそれから5か月の間に誰かのタイヤを2回替え、数回ガソリンスタンドまで乗せてあげ、1度は自分の目的地から外れて女性を空港まで送ったこともある。謝礼はもらわない。そして必ず最後には同じことを言うことにしている。

 

『“Today you….Tomorrow me…."(今日、あなた…。明日、私…。)』

 

とりとめもない長い話になったけど、見ず知らずの親切な人が、いかに僕が困っている他人を助けるように仕向けたかという話をしてみた。

これを読んだ全ての人に意味があるとは思わないけれど、間違いなく僕の今年のハイライトな出来事だったので、書かずにいられなかった。

 

 

相方が言うには、自分にはラックが付いているから今までどんな人を助けても、一度も危険な目に合った事はない、人を助ける時に多くの人が言う「他人への恐怖」は便利な近代社会ほど大きいと。

もう知らない人を車に乗せる事はさすがになくなったけど、そういうところ 私も見習おう。