ひょうご別品(べっぴん)体験記ブロガー旅行記の続きです。

 

(前回の記事はこちら→

http://ameblo.jp/foodanalyst-yu/entry-12214542089.html)

 

 

播州赤穂駅でレンタサイクルを借りて、お城通りへ。

 

まず向かったのは、息継ぎ井戸です。

江戸での浅野内匠頭による刃傷事件の第一報を知らせる為、元禄14年3月143日の夕刻に赤穂藩士の早水藤左衛門と萱野三平が江戸を早かごで出発、155里(約620キロ)を四昼夜半かけて、一気に走りぬけそうです。

 

3月19日の早朝に赤穂城下に到着、この井戸で一息ついてから城内の大石内蔵助邸へ入ったと言われています。

 

井戸が当時そのままの状態で残っているので、とても感慨深いですね。

 

 

 

 

続いては、赤穂浪士ゆかりの花岳寺へ。

赤穂藩祖浅野長直公によって正保2年に建立された曹洞宗のお寺で、元禄事変後、永井家、森家歴代藩主の菩提寺となりました。

 

この山門は赤穂城の西惣門として建てられていたものを、明治6年に花岳寺二十一代仙珪和尚が購入移築されたそうで、城郭付属建築物として、歴史的価値も高い門です。

 

確かに風格のある門ですよね。

 

 

 

 

 

<鳴らずの鐘>

この鐘は、赤穂浅野家二代の藩主で、切腹した長矩公の父にあたる長友公が、その父長直公の菩提の為に奉納されたもの。

 

元禄16年(1703)2月、赤穂四十六士が江戸で切腹した知らせが赤穂に届いた時、町民が昼夜鐘を撞き尽くして鳴らなくなったと言われています。

 

寛政年間に改鋳され、鳴らずの鐘が今は鳴っていることから、赤穂七不思議の一つとなっているのだとか。

 

 

 

 

<名残の松>

立派な松ですね。

 

初代のは昭和2年(1927)に枯れた為、これは二代目の松なのだそうです。

 

 

 

初代の切り株がこちらです。

元禄4年(1691)に相生村から移植した松の樹齢は310年の大木だったそうです。

 

浅野家が断絶し、大石内蔵助が赤穂を立ち去る時、この松のもとで名残を惜しみ旅立ったことが名前の由来になっています。

 

 

 

境内には、四十六士のお墓や宝物館などもあり、とても見ごたえがありました。

赤穂に行ったら、必ず立ち寄るべきお寺です。

 

 

この後、赤穂名物の牡蠣を頂きましたので、続きをお楽しみに~♪

 

 

 

 

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