私は大学を出て、経済記者として身を立てようと、学生時代のアルバイト先だった「日本証券新聞」にそのまま就職、株屋の取材記者として社会人のスタートを切った。

当時は、清水一行の小説さながら、仕手筋や相場師が横行する時代だった。カネと欲の世界、日本経済の心臓弁である兜町で、記者の基礎を学んだ。

ところが、入社半年後、突然「整理部勤務を命ず!」という辞令が出る。見出しをつけたり、新聞のレイアウトをする内勤業務である。会社の説明としては、「新人のローテーション」と言う。でも、同期入社の社員は記者のままである。納得がいかない。

社内取材をすると、仲の悪い編集局長と次長の政治の道具にされたという。平気で悪評のある情報屋(週刊誌記者やブラックジャーナリストのネタ元)に出入りしていた私を局長が嫌っていた。次長はスクープ(仕手筋介入!の類い)を連発していた私を買っていた。二人は私の処遇を巡って対立した。結局、局長判断で、佐藤を整理部に回して自重させようという判断となった。

まだ、20代前半、経済記者を夢見ていた私は、整理部=牢獄と捉え、すぐさま辞表を叩きつけた。それは、失業を意味する。(つづく)