27日(金)の続き。
“裏銀座ビストロ・バル通り”を「飲食店なび」デスクの佐藤マコトとリサーチ。
実は、2005~06年まで、私は築地のマンションに“単身赴任”生活、東京イーストマーケットの可能性を探っていた。
その前は小伝馬町のマンション。東日本橋・浜町・人形町・茅場町・裏八重洲・八丁掘・新富町・築地・東銀座と
連なる“中央区ベルト地帯”に高層のマンション群が建設ラッシュとなり、新しい飲食エリア誕生のポテンシャルが高まっていたから。
“西の恵比寿・中目黒”に対比される“東の飲食ディープエリア”発祥の芽が出ていた。
八丁堀マルや茅場町ギョバーの成功、それに人形町・小伝馬町でのスパインバル増殖がそれを予感していた。
そして、裏銀座。かつては落合さんの「ラ・ベットラ」がブレークした街。
いま、数々のバルが生まれて、人々を吸引している。
街自体が進化を遂げている。
歩けば、それが実感できる。
最初は苦労したが、いまや裏銀座のランドマーク。
スタンディング・スペースもある。
この店の成功で、オーナーの阿部光峰さんは神楽坂に進出、「El Pulpo」 を出して、これも大当たり。
阿部さん、スゴイです。
「EL CERDO」で偶然、ピカタケちゃんマンとその仲間たちと遭遇。ピカタケは、「飲食店なび」のデザインを頼んでいるノンダクレ・デザイナー、竹原トモヒロ先生。
アメブロ「ノンダクレッタのブログ 」好調です!
ここで、マコトを置いて、独り京橋へ。
都営地下鉄「宝町」の交差点で昭和通りを渡り、1本裏手の路地に京橋「ギョバー」はあった。
こんな場所に?ってところに、一軒だけ人が集まる店がポツンと。
アイディー・梅田さん、ヤリマスね!
京橋から中央通りを渡り、銀座一丁目方面へ。
高速下のグローバルダイニング「G-ZONE」の脇に、これまたディープなエリアがある。
住所は京橋三丁目だが、こんど出現した「銀ZERO」 に人々が集まるようになって、ここはいまや、
“銀座ゼロ番街”
と、呼んでもいいのではないか。
「銀座ZERO」の反対側には、鉄板バルでブレークした「BRICKS」 がある。
それに挟まれた通りに、個性的な立飲みがいくつかあります。
面白いエリアに進化中です。
一棟ビルを大胆に使った「銀ZERO」。ゼットン・稲本さん、ネオサポート・浜倉さんもビックリでは?
ここの会社「高速を超えた銀座1~3丁目エリアで「SCOTT(スコット」「独楽」「凛」など経営している会社 。
物件オーナーさえ納得すれば、飲食ビジネスはこんな“街の仕掛け”もできるってことです。
2階はスープカレー「札幌ドミニカ」です。
金曜の夜。この日は、仙台放送プロデューサーの井坂さんからの紹介で、サンフランシスコのレストラン「YOSHI’S RESTAURANT SAN FRANCISCO」 のエグゼィティブ・シェフ、神尾正太郎さんと会う予定だったけど、いっこうに連絡なし。
有楽町のガード下のマンモス居酒屋「ハ起」で盛り上がるIT関係者の飲み会のお邪魔。
〆は「函館ソーラン市場」でした。お疲れ様。