染めと織の万葉慕情88
玉の緒の歌
1983/12/16 吉田たすく
紐の歌を長い間取りあげましたが、紐には「高麗錦紐解き放けて」などの歌を読みますところ、大陸渡来の錦の布を細く切って紐に作っていた事がわかります。
高麗錦でなくとも麻の布や倭文(しず) (日本古来の織物)の布などでも作ったものと思われます。細い紐に似かよった染織品に「緒(を)」があります。 今回からその緒の歌をひろってみたいと思います。同じような形態ですが、緒は縒(よ)り糸か組み紐のようなも
ので、織り布の細いものではなく、縄状のものであったようです。 それもそのはず、歌のほとんどが「玉の緒」を詠(うた)っています。
下紐とくらべ用途も目的も身に着ける場所もまったくちがいます。 玉の緒ですから、今でいうネックレス、首飾りをつづるものです。 それと腕につけるブレスレットの緒とか今の風俗にはありませんが、足の飾りにした足玉などの緒の事です。
「玉の緒」の玉は緒の装飾語で、美しい緒といった意味の場合もあります。これらが枕詞(ことば)に使われて、詠われてもいます。
照左豆(てりさつ)が
手にまき古す
玉もがも
その緒は替えて
わが玉にせむ
照左豆は古来難解とされ、猟夫とか玉商人とかいわれていますがはっきりしない言葉のようです。
てりさつが手に巻いていた古くなった真珠が欲しいものだ。その古い緒は取りかえて自分の玉にしたい。
この歌は万葉巻七の「玉に寄す」という一群の中の一首です。
ついでにほかの玉の歌を読んでみましょう。
秋風は
つぎてな吹きそ
海(わた)の底
奥(おき)なる玉を
手に巻くまでに
秋風はつづいて吹かないでおくれよ、大海の真珠を私の手に巻きつけるまでは。
秋風よ私の気持をじゃましなさんな、彼女を手に入れるまでは、という意味なのでしょう。
「玉を「手に巻く」と詠うところを見ると当時のファッションに、腕飾りがはやっていた事が想像されます。
世の中は
常斯(か)くのみか
結びてし
白玉の緒の
絶らく思へば
世の中はいつもこうした無情なものなのか、きつく結んだ真珠の緒も切れてしまう事を思へば。
色白の美しい彼女もとうとう私をはなれて行ってしまったなげきの歌なのです。
玉の緒と聞けば、それを飾る当時の女性の首すじやふくよかな胸もと、またしなやかな腕、赤裳裾(すそ)からのぞく小鹿のようなすんなりした白き足もとを思わせてくれますが、玉の緒の歌のたいていが失恋の歌によまれているのがかなしい事です。
(新匠工芸会会員、織物作家)
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『染と織の万葉慕情』は、私の父で、手織手染めの染織家、吉田たすくが60歳の1982年(昭和57年)4月16日から 1984年(昭和59年)3月30日まで毎週金曜日に100話にわたって地方新聞に連載したものです。
これは新聞の切り抜きしか残されていず、古いもので読みづらい部分もあり、一部解説や余話を交えながら私が読み解いていきます。
尚このシリーズのバックナンバーはアメーバの私のブログ 「food 風土」の中の、テーマ『染と織の万葉慕情』にまとめていきますので、ご興味のある方はそちらをご覧ください。
https://ameblo.jp/foo-do/theme-10117071584.html
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吉田 たすく(大正11年(1922年)4月9日 - 昭和62年(1987年)7月3日)は日本の染織家・絣紬研究家。廃れていた「組織織(そしきおり)」「風通織(ふうつうおり)」を研究・試織を繰り返し復元した。
風通織に新しい工夫を取り入れ「たすく織 綾綴織(あやつづれおり)を考案。難しい織りを初心者でも分かりやすい入門書として『紬と絣の技法入門』を刊行する。
東京 西武百貨店、銀座の画廊、大阪阪急百貨店などで30数回にわたって個展を開く。
代表的作品は倉吉博物館に展示されているタペストリー「春夏秋冬」で、新匠工芸会展受賞作品。昭和32年(1957年)・第37回新匠工芸会展で着物「水面秋色」を発表し稲垣賞を受賞。新匠工芸会会員。鳥取県伝統工芸士
尚 吉田たすく手織工房は三男で鳥取県染織無形文化財・鳥取県伝統工芸士の吉田公之介が後を継いでいます。
吉田たすくの詳細や代表作品は下記ウイキペディアへどうぞ。