染めと織の万葉慕情85
秋風に今か今かと紐ときて
1983/11/25 吉田たすく
紐の敗のつづきです。
晩秋の月は美しいというよりもすごみを感じるくらい透明な空に青鏡のようなつめたさです。それも居まち、寝まちの月がなおさらです。
ここに月と紐の歌がありました。
秋風に
今か今かと
紐解きて
うら待ち居るに
月かたぶきぬ
彼氏をまつ女心の歌です。下紐を解いてまっているけれどやって来ません。月はだんだん西にかたむき夜もふけて行くのです。この人を待つ、下紐を解いて待つ歌をひろってみましょう。
眉根(まよね)掻(か)き
鼻ひ紐解け
待つらむか
何時しか見むと
思へるわれを
万葉当時の人々に”人に逢う”とか”まち人来たる”しるしと思われていた事の一つに“マヨネカク”というのがありました。眉(まゆ)の根がかゆくなり、目じりがかゆくなり、自然に指でかくしぐさがあれば、まち人来るしるしだというのです。そしてもう一つは”鼻ひ"、今でいうクシャミの事です。クシャミが出れば、まち人来たると思われていました。今、私達の間にもクシャミ ー
回は何とかで二回、三回は何とかかんとかいうでしょう。このような事が万葉時代からいわれていたのです。なかなかおもしろいことです。
まよねをかき、くしゃみをして、私が来ると思って下紐をといて、今ごろ待っているであろうかなあ。早く進いたい寝たいと思っている私の事をという歌。
離れた地で夜の彼女を思う気持ちの歌です。これとほとんど同じ歌が別の巻にものっていました。
眉根(まよね)(か)き
鼻ひ越解げ
特てりやも
何時かも見むと
恋ひ来しわれを
まよねかき、ぐしゃみをし、私が来る事をおもい、紐を解いて待っていたのかいあんたわ。いつ逢えるかしら、早く逢いたいと恋しくて来た私を。
この歌に答へて女の歌。
今日なれば
鼻ひ鼻ひし
眉かゆみ
思ひしことは
君にしありけり
くしゃみがとまらず又くしゃみをし、そのうえ眉がかゆくてかゆくてたまらなかったのは、今日になってみるとみんなあなたのせいだったわ。ほんとにそうなのと分ったのよ。じれったかったわといったところなのでしょう。
まよねかくは、今はなくなってしまった言葉です。
(新匠工芸会会員、織物作家)