結びし紐を解かめやも
1983/10/14 吉田たすく
紐の歌のつづきです。
先週の歌は巻十二の中の歌でしたが、まだ紐の歌がありますのでひろっ
て見ました。
海石榴市(つばいち)の
八十(やそ)のちまたに
立ち平(なら)し
結び紐を
解かまく惜しも
この“つばいち”は、ずっと前の歌にも出た地名です。今も奈良にその名ののこる小さな村があるそうですが、万葉時代には大変にぎやかな「市」が開かれていた町で、いくつにも分かれた辻があって、今でいえば東京銀座の四丁目にあたるところだったのでしょう。名の通り椿の木が植えてあったそうです。 万葉だけでなく「かげろう日記」にもその”つばいち”の宿に泊って、さまざまな人達が往来する様子をその宿のしとみ戸のすき間から見ている事が記されています。
その“つばいち"はかつて歌垣が開かれていたようでして、つばいちの八十のちまたで、男女が恋歌をうたいながら、地を踏みならして踊りをおどったのでありましょう。
恋歌がまとまっていっしょになったカップルが、うま寝のあとの別れに下紐を結びあったのです。その紐を解いてしまうのは惜しいと詠っていますが、この場合の“解く”は二人して解くのでなく、つばいち”ではじめて二人になって結びあった紐ですから、今度いっしょになるまで結んでおいて、勝手に自分一人で解きすててしまうのは惜という意味だろうと思います。(思いすごしかもしれませんけれど)
二人して
結びし紐を
ひとりして
我は解き見じ
直に逢うまでは
という歌もありますので、そうであったのかも知れません。
巻第九の歌ですが同じように“直に逢うまで"を詠った歌もあります。
我妹子が
結びてし紐を
解かめやも
絶えば絶ゆとも
直に逢ふまでに
これは長く逢えないので、二人して解くチャンスにめぐりあいません。
結んでくれた紐はよれよれになって切れそうになっても、直に妹に(彼氏
に)逢うまでは解きませんよ。と、恋のはげしさを詠っているのです。
ところがこんなに長く逢えなくて下紐が糸のみだれになるのを予想して、縫いなおすよう針を持たせている歌もあるのです。
草枕
旅の丸寝の
紐絶えば
吾が手と付けろ
これの針持し
妹の彼に対する愛情というのでしょうか。 こんなにしてまで二人のちぎりの思はつながっているのです。それにしても、長い間逢えないのはなさけないことです。
針はあれど
妹しなければ
付けめやと
我を悩まし
絶ゆる紐の緒
わたしが居なければ自分でなおしなさいと、わたしてくれた針はあるけれども、切れては私をなやますこの下紐だわいなあ。はやく逢いたいも
のだと、 なげくのです。
(新匠工芸会会員、織物作家)
挿絵の花
ジョウロウホトトギス
実家の庭に咲いている花です。
山陰地方には無い花ですが、父か母が何方かに頂いて庭に植えたのですね。
植物学者の牧野富太郎が25歳の時に高知県で見つけ余りの美しさに上臈(宮中の貴婦人)と和名を付け、その絵が日本郵便切手にもなってるそうです