かわいいふりしてあの子 わりとやるもんだねと
言われ続けたあの頃 生きるのがつらかった
行ったり来たりすれ違い あなたと私の恋
いつかどこかで結ばれるってことは 永遠の夢
青く広いこの空 誰のものでもないわ
風にひとひらの雲 流して流されて

私待つわ いつまでも待つわ
たとえあなたが振り向いてくれなくても
待つわ(待つわ)いつまでも待つわ
他の誰かにあなたが振られる日まで

悲しいくらいに私 いつもあなたの前では
おどけて見せる道化者 涙なんかいらない
分かりきってる強がり 平気で言ってみても
一人ぼっちの時には そっと涙を流す
誰も私の心 見抜くことはできない
だけどあなたにだけは分かって欲しい

私待つわ いつまでも待つわ
たとえあなたが振り向いてくれなくても
待つわ(待つわ)いつまでも待つわ
せめてあなたを見つめていられるなら

私待つわ いつまでも待つわ
たとえあなたが振り向いてくれなくても
待つわ(待つわ)いつまでも待つわ
他の誰かにあなたが振られる日まで




かわいいふりしてあの子 わりとやるもんだねと
言われ続けたあの頃 生きるのがつらかった

「ぶりっ子」という言葉、かってはよく使われていた言葉でしたが、最近はあまり使われなくなりました。
可愛い子振る、良い子振る…と、実態はそうではないのに、そうであるかのように、振る舞うということで、もちろん、誉め言葉ではありませんが、個人的には、ぶりっ子は好きです。

もちろん、裏表のある嘘つきを、奨励するのではないのですが、どうせ私は可愛くないから…、どうせ俺は悪いやつだからと、向上心もなく、妙に開き直るだけなのはどうかと思うからです。

少なくとも、努力して可愛い振りすれば、そのときは可愛い訳であり、良い子振れば、ともかく、その場は良い子なのです。(笑)
もっとも、「基礎」や「土台」が根本的に違うのですから、無理してはいけませんが。(笑)

行ったり来たりすれ違い あなたと私の恋
いつかどこかで結ばれるってことは 永遠の夢

そもそも、「あなたと私の恋」に限らず、恋は一般的に、すれ違いに始まり、すれ違いに終わるものです。
恋をテーマにした恋愛小説や恋愛映画などは、それこそ、これでもか、これでもかと、よくもここまで、恋人たちをすれ違わせることができるかと思うほど、すれ違わせていきます。
しかし、だからこそ、募る思いで次第に燃え上がっていくのが、恋の描写に不可欠であると知っているからでしょう。

私待つわ いつまでも待つわ
たとえあなたが振り向いてくれなくても
待つわ(待つわ)いつまでも待つわ
他の誰かにあなたが振られる日まで

この歌を元祖ストーカーの歌のようにいう人がいます。(笑)
もちろん、四六時中、目の前に立たれて、私待つわ~、いつまでも待つわ~、なんて言われると、寒気がするでしょうね。(笑)

でも、振り向いてくれなくても、いつまでも待つ、というのはいじらしいじゃないですか。そして、他の誰かに振られるのを待つだけというのも、奥ゆかしいじゃないですか。
最近は、いつまでも待つ、なんて悠長なことはせず、また、人のものであっても、平気でかすめとっていきますから。(笑)

悲しいくらいに私 いつもあなたの前では
おどけて見せる道化者 涙なんかいらない

好きな人の前では、どうしても素直になれなくて、ついつい道化師になって、おどけて見せる。
そして、不覚にも、涙を流したときのカムフラージュに、道化師は、最初から涙のあとを描いたメークで登場するのです。
道化師に涙は似合わない…そんな強がりを言って…。

分かりきってる強がり 平気で言ってみても
一人ぼっちの時には そっと涙を流す

そして、舞台から降りてから、そこではじめて、本物の涙を流すのです。ハンカチを差し出す人が誰もいないことを確かめて…。

誰も私の心 見抜くことはできない
だけどあなたにだけはわかってほしかった

誰もが見抜けない私の心を、あなただけは見抜いてほしい。
分かって欲しい。…完全な矛盾です。
しかし、恋愛は理性でするものではないのです。

待つわ(待つわ)いつまでも待つわ

そして、時は流れていくのです。


あみん…さだまさしさんの「パンプキンパイとシナモンティ」という曲に出てくる「安眠(あみん)」という名の喫茶店。

愛が叶えられると、信じたかどうかはともかく、名古屋の私立橸山女学園大学在学中だった岡村孝子さんと加藤晴子さんは、この架空の喫茶店の名から、「あみん」というグループを結成したのだとか、そして、第23回ポプコンつま恋本選会グランプリを受賞します。

あみんを解散後、岡村孝子さんは、 ソロデビューを果たし、「夢をあきらめないで」ほかのヒット曲を出します。
その後、プロ野球の読売巨人軍にいた石井浩郎選手(現ロッテ)と結婚し、出産、育児のために音楽活動を休止したあと、復帰し活動を再開されています。

加藤晴子さんは、「あみん」の頃から目立ちませんでした。

この曲は、女性デュエットカラオケで、よく歌われる定番の曲ですが、岡村孝子さんのパートを歌う人がいても、どっちかというと、岡村孝子さんのいない「あみん」にしか、お目にかかれないと思うのは、ぼくだけ?(笑)






歌ってよ 夕陽の歌を
歌ってよ 心やさしく

あなたは坂を登ってゆく
私はあとからついてゆく
影は私達をへだてるので
やさしい夕陽は 時々雲にかくれてくれる
歌ってよ夕陽の歌を 歌ってよ心やさしく
歌ってよ夕陽の歌を 歌ってよ心やさしく

あなたは夏をおりて行く
私は秋に登って行く
心を季節がへだてるので
すばやい風は こうして二人を寒くさせる
歌ってよ夕陽の歌を 歌ってよ心やさしく
歌ってよ夕陽の歌を 歌ってよ心やさしく

歌ってよ夕陽の歌を 歌ってよ心やさしく
歌ってよ夕陽の歌を 歌ってよ心やさしく




たそがれ時って、なぜ、さみしく、もの悲しく、感じるんでしょうか。
日が沈みゆく空は、晴れた日ならば、そして明日も晴れるならば、夕焼け空が広がります。
西の方の地平線や水平線の近くの空が、赤く染まっていきます。

夕陽の色は、たいてい赤や橙、黄色などのいわゆる暖色系です。
暖色というのは、文字通り、暖かみを感じさせる色のことで、優しく包み込むような色。
だから、さみしさや悲しさを感じさせるのは、色のせいではなさそうです。

では、なぜ、夕暮れ時はさみしそうなんでしょうか。

最近の医学的な研究として、夕方のころには、気分や感情に影響を与える、セロトニンという神経伝達物質が減少してきて、活性が悪くなり、不安やうつ的な症状が出やすくなるために、たそがれ時に、さみしさやもの悲しさを、強く感じさせるのだという見解があるようです。

現代人の生活習慣では、セロトニンが減少傾向にあるとされていますので、このセロトニンを増やすサプリメントもあるようですし、また心療内科等での処方薬もあるようですから、この対処療法を施せば、たそがれ時もさみしくない、夕やけもこわくない、なんてことになるのでしょうか。

私見としては、安易に、これらのサプリメントの多用や薬剤への依存は避けるべきだと思います。もちろん、心身に顕著な症状が出ているときには、素人判断ではなく、医師等の専門家にゆだねて治療するのは当然のことで、治療や薬剤の使用を否定するものではありません。

でも、こう考えることはできないのでしょうか。

たそがれ時はさみしいのがあたりまえなのです。
それは私たちが生まれるずっと前から、人の営みが始まったころからのことであり、古今東西、むかしも今も、たそがれ時はさみしそうだったのです。

だからこそ、そのさみしさゆえに、人として交わり、人と関わりあいながら、ずっと生きてきたのです。
そう、さみしく、もの悲しいのは、人との関わりを求める人の本性なんです。

古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、人間は社会的動物であるといったといいます。
鎌倉時代の新古今和歌集には、秋の夕暮れを詠んだ三夕(さんせき)の和歌もあります。

たそがれに、さみしがっているのは、あなたひとりじゃないはずです。

もっとも、そうはいっても、そもそも、たそがれ時に、そばで見つめている人に気遣うこともなく、じっと海を見ている人と、一緒にいることは、さみしいことだと思います。
また、禁煙化が進む以前の話であったとしても、目の前の人のことを考えず、沈む太陽の残光で煙草に火を点けているように見える人といることこそ、寒色系の風景なのかもしれません。

そして、さらには、その人の興味なり、関心なり、意識が、目の前の自分に向けられていないことに気が付くとき、木枯しよりも冷たい風が心の中に吹きあれて、さみしさが募ります。

ひとりでいるときより、ふたりでいるときの孤独感。

とは言っても、そんな「今日」も戻らない時間として去って行きます。

そして、・・・・・明日。




「みゅーじっくふうちゃんねる ~show我が青春~」は、ちゃんねるマスターであるふうちゃんの青春時代にあたる1970年代から1980年代までの間に、ラジオやテレビなどで流れていた、フォーク・ニューミュージック系を中心としたポピュラーな楽曲、またふうちゃんが好んで聴いた音楽の中から独断と偏見で選曲した楽曲に、毎日のニュースを焦点にした「ざれ言・たわ言・迷い言」や、エッセイ(雑文)などを書き添えたページで構成するサイトです。

この「みゅーじっくふうちゃんねる ~show我が青春、涙からもらった元気~」にUPされた曲を聴きながら、ついつい、あの時、あの頃を思い出して懐かしんだり微笑んでしまわれた方がおられる一方、なかには、そういう感情が持てなかったほど、暗い、悲酸な青春期を過ごされた方もおられるかも知れません。

でも、例えそうであったとしてもです、・・・どんなに切ない思いで青春期を過ごしたとしても、あの頃見た広い空や、きれいに染まった夕焼け雲は、やはり、今見る空や雲とは違って見えたのではないでしょうか。

そして、それが、かけがいのない大切なものだと知ったとき、そこから、人は、初めて自分の生き方を変えられるものだと、そう、ふうちゃんは思っています。

ところで、この「みゅーじっくふうちゃんねる ~show我が青春、涙からもらった元気~」の中で、っていうより、ここで紹介した曲の多くに、懐かしさを感じたり、また、「夢の時間」を求められたりする世代の方々は、ともすると、昭和の時代と平成の時代の混在から自分自身の居場所を見失いがちになったり、不安・焦燥に駆られたりと、かなり、お疲れになっておられる方もおられるのではないでしょうか。(笑)

しかし、まだまだお疲れのままではおられません。

いや、ある意味、これからが人生そのものと言えるかもしれません。

そんな皆様におかれましては、ぜひ、このサイトに時々で結構ですのでお越しいただき、ここで「show我が青春号」という夢列車に乗り、キラキラと輝いていた青春時代の「あの頃のまま」という駅で降り、この街の「むかし通り」をゆっくりと巡り歩いてください。

そして、それぞれの時間旅行を楽しみながら、「しみじみ茶屋」や「ほのぼの亭」といったお店でひとときを過ごされ、・・・そして、お帰りの際には、是非、「リフレッシュまんじゅう」とか「明日への活力煎餅」などをお土産としてお持帰り下されば嬉しい、そんな思いでお待ちいたしております。

                              

                ちゃんねるマスター(ふうちゃん)