我が家は
高校1年生の長男
小学校二年生の次男
の兄弟がいます
最近長男が
思春期なのか反抗期なのか
先日、本人がやった訳ではないけれど
一緒にいたので共犯となり
(もちろん私も大きく同意しています!)
自宅待機からの特別指導期間が
10日ほどありました
指導開始日と指導解除日には
私も高校に行き
校長室で重々しい雰囲気の中
起立!礼!から始まり
校長先生はじめ、
数名の先生からのお話がありました
本当に大切な友達を守るという事は
時に厳しい事を言わなければいけない
楽しい雰囲気をぶち壊すかも知れない
でも、もしそれで相手から嫌われたり
無視されたりする友情は
本当の友情なのか?
君は意思を持って生きていって欲しい
その意思が
間違えてもいい
間違えたらそこから直せばいい
でも、何も考えずその場の雰囲気に流されて
中途半端な事はするな
間違えてもいい
しっかり考えて行動しなさい
校長先生の話はとても厳しかったけれど
恥ずかしいけれど
今の私にもしっかりあてはまる内容で
私も長男くらいの年の頃を思い出したのです
中学生・高校生の
若気の至りから(笑
視野の狭さから
やってしまったあれやこれや
同じように何日も教室に入れず
先生達に別室に呼ばれた事
母も先生に呼ばれて
事の次第は知ったのだけど
家に帰ってからも一切怒らなかった
私は母親としてどちらかと言うと
うるさく言わない方だとは思っているけれど
校長室に呼ばれた緊張感と
親の監督責任のようなものも勝手に感じて
「もうしないでよ!」
怒り口調で言って
長男を見張りそうになってしまった
でも、その時「はっ!」と気付いたんです
私が長男に投げつけた
「もうしないでよ!」は
私のために
「もうしないでよ!」
って、言ってるって
息子を守るんじゃなくて
私の体裁や世間体を守ってる
30年くらい前は
近所づきあいも盛んだったし
はみ出し者は排除されるような風潮
だったと思うんです
それなのに
私を怒らずに
見張らずに
また自由に好きにさせてくれた母
母の想いにギュッと触れてしまった
母は私に自由でいて欲しかったんだ
そして
同時に責任も背負ってくれていたんだと思う
かなり大人になってから
当時から仲の良かった親友から聞いた話
私が問題を起こした時
母が私の親友の家を訪ね
親友の親に事の次第を説明に来た、と。
「もしよかったら
これからも娘と仲良くいてやってください」
と、最後に頭を下げていたと
と聞いたんです。
私は大人になった当時でも
この意味がよくわからなかった
でも、やっと今
当時母のとった行動の意味や
想いのようなものが
感謝とともに身に染みるような温かさを感じ
もっと母と話したかったな
そんな悔しい思いもあふれてくる
私が母になり
息子から母の想いを聞いているようで
子育てとは
本当に面白く
また
私が子供の時に解消できなかったわだかまりが
輪廻のように繰り返される
色々な角度から
人は鏡
本当にそうだなって思うのです。
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あなたが、
今日
子供を叱ったり
子供に注意したりしたならば
それは
誰のためですか?
私は、
自分の社会的立場を守るために
息子を叱ろうとしました。
私は私
息子は息子
親の責任とは
もっと他のところにあると思うのです。