5月24日は、実母の27回忌でした。
そのために、有松の兄の家に。
集まったのは、兄家族4人。
我が家の4人。
主人は、他に親戚はこないのか、と言いましたが……。
その言葉に、ああ、この人はやはり、祖父母と暮らしたことがない人なのだ、と実感。
人が老いていくとは。
死んでいくとはどういうことか、まだ目の前で体験していないのですね。
もう80を越えんとする人々が遠方から集うのは難しいのが、想像できないらしいです。
(あ、父の場合は、自主的無視、ですけれど)
実家は、華厳宗。
東大寺です。
久々に、華厳宗のお経を聞いて、なんとも懐かしく……。
おっさまに久しぶりにお会いできるかと思っていたのですが、
代変わりをされたとのことで、お会いできず。
あ。
実家の方では、ご住職のことを、「おっさま」と呼んでおりました。
こちらに嫁いできたとき、住職のことを、
「ごえんさま」と呼ぶのを聞いて、びっくりしました
これは宗派の違いか、地域の違いかわかりません
初めてお会いした息子さんは、とてもきさくな方でした。
こうやって、良い方にお経をあげてもらえる母も、幸せかな。
帰宅して、草取りをしつつ。
どくだみが可愛らしかったので、生けてみました。
あんなにちっちゃかった甥っ子が。
姪っ子が。
お酒を飲める年頃になっている不思議
お経をずっとあげて下さっていたおっさまが、そこにおられない、その不思議
確実に、あざやかに、時は過ぎて行っていることへの、わずかな痛み。
でも。
こうやって大きくなっていく、かつての赤ん坊たちに。
その未来に、たくさんの幸あれと思う、おばさんの、わたし
自分以外の者への、幸せを祈ることのできる、その幸せ。
少々おそまきながら。
お寺でも、鈴蘭が咲きました。
日陰にあるので、毎年、ちょっと遅めです。
過去を見る。
未来を、見る。
今の自分を、見る。
そのつながりを感じて。
なんだか、不思議でもあり。
今はもういない人を想い、哀しくもあり……。
そして、未来を、子供たちのなかに、見る。
命がつながっていくって。
こういうことかもしれない、と思った。
そんな一日。
合掌。