着付け講師、ママリーヌ空、その着物史【概要】。 | 愛知県一宮市 ピアノ教室ff(フォルテッシモ)

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夢はピアニスト。日本には、もう住まない!
そう思っていた私の、運命の嫁ぎ先は、お寺でした。

藤原式ナチュラルメソッドで、
楽に表情豊かに音楽を奏でるレッスンをお届けします。

お寺といういつもと違う空間で、
音楽を楽しみ、心をまあるくしてみませんか。

きのうアップした、

背中心で合わせる着物の着方女の子




大勢の方に興味をもっていただいたようで、ありがとうございます。





もっと知りたいのですが、

とのメッセージを沢山いただいたので、私の知りうる限りのこと、また、体験したこと、伝えられたこと、を、少しづつ書かせていただくことにしました土下座
(コメントでなく、メッセージってところが意味深ですねにひひ

photo:01



その前に、まずもって、私自身が、着物とどんな付き合いをしてきたのかを、簡単にお話しさせていただきますニコニコ




着物との出会いは、物心つく前から。
同居していた祖母が、着物しか着ない人でした。
洋服を一枚も持っていないので、それこそ、一年中365日、きもの生活着物


反対に、母は、ほぼ自分で着物を着ることのできない人でした。
ただし、着物は上等なものを何枚も持っていました。
つまり、着せられる専門。

ここぞというときにしか着物を着ないので、タンスにあるのは、

・黒留袖(結婚式で着る、あの真っ黒で紋があって、裾だけにキンキラキンの模様があるあれです)
・色留袖(黒留袖の色バージョン。大抵は3つの紋入り)
・訪問着
・色無地(1つ紋入り)
・お正月などに着る、上等の小紋
・少しだけ、大島などの紬

見事に、ここまでのラインナップです目


その母に、着物を着せ、準備すべてをしていたのは、私の父の長姉。
つまり伯母です。

この伯母が和裁士でしたちくちく2
本人は、超お嬢様で、ピアノを習うのにも、学校に行くにも、すべておつきの女中さんがいて、荷物など持ったこともない少女時代SAYUセレブスタイル2
ただ、後にかなり没落したため、御嬢さんの花嫁修業だった和裁で、生計を立てた人です。

私の娘時代の着物も、ほぼ、この伯母が見立て、縫ってくれていました。


それから、父の末妹。
没落したうちの娘でしたが、とにかく、お茶にお花三昧。
どちらも最上級のお免状持ちです。
なので、とにかく、着物を持っている。
そして、着道楽とも言えるほどの、洒落ものsei
この伯母に孫がいなければ、この叔母の着物は、全部もらいたいぐらいですおぉ!


最後に、父の従妹。
こちらも、着物は体の一部グッド!


その他にも、父方の家系は、お茶とお花の先生だらけ。

着物は着れて当然。


結婚式でも、黒留袖を会場に持って入り、着物は自分で着る、二重太鼓はきっちり締められるよう、お互いに結びっこしあう……。

人が着ているのを毎日見るから、自然に覚えて、最初から、着れた。




そんな人たちの間で、育ちましたあかちゃん 




私も、ウールの着物や浴衣は自分で着る。
普段着なので、お太鼓は締めません。

お茶会やお出かけのときの着物は、伯母たちが着せて、お太鼓をきっちり締めてくれる。



そんな娘時代を過ごしました。






いえいえ。
昔の着付けが全部いいなんて、言ってませんよ。





昔の着付けを頑固によしとする伯母たちのおかげで、お茶会などで、けっこう嫌な思いもしました。



だって。
補正を良しとしない。
衿芯も使わない(今のわたしの衣紋の抜き方を見たら、きっと激怒される……)。




なので、私自身は、いわゆる「着付け教室の着付け」にあこがれましたakn





きのう書いたことにしても、これから書くことについても。
どっちが良くて、優れている、とかではなく、

     女の子 こういう着方が、一つのありかたとして、あった。

     女の子 こんなふうに聞いた。

     女の子 こんなふうに教えられた。


という、ただの、着物の着方の1つ、考え方の1つです。


百人いれば、着方も、好みも百通り。
でも、きっと、根底に流れる思いは一つ。


着物を綺麗に。
自分らしく着たい。



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ふ~~~~ん、そうなんだ。
面白いな。
そんな理由があるんだ。


そんな風に、楽しんでいただければ、嬉しく思います土下座





順序立ててではなく、思い出した順、気が付いた順に、不定期の掲載ですメモ



気軽に気長にお読みいただければ、幸せですニコ






着物を着る誰もが、これから着たいと思う誰もが……。
気軽に、楽しく、美しく、自分らしく、着物が着られますように。