"何か"を目指した瞬間、それ以外は不幸せ、というあまりに大きな範囲の不幸認定がはじまる。
何かを【手にした瞬間だけが幸せ】
それ以外は【目指している最中】
つまり真っ黒い画用紙の中にある一点の白だけをつかもうと必死にもがいているかのような…
果てしなく虚しい構造がうまれていたことに気づく。
だからいったん
「目指さない」ことにしてみる。
ただ「居る・在る」という「状態」そのものをOK認定してみた。
するとどうだろう。。。
"あれ……なんか、幸せかも……。"
いかに、自作の「幸せ探しゲーム」をしていたかに愕然とする。
「幸せ探しゲーム」というと一見聞こえはいいが、
言い方を変えると、実は「不幸作りゲーム」
だったことをタネ明かしされてしまった気分だ。
タネ明かしをされた瞬間、私たちの意識はようやく
舞台から降りられる(=メタ認知)ようにできているから、もう安心だ。
もう、呼吸をぐっと止めて、頭をグルグルと働かせて、どうなっているんだどうなっているんだと、力んで躍起になる必要がなくなる。
また、やりたくなったらやればいいけど
今はいったん、"タイム"でいいや。
そして構造はもうわかったから、
次にゲームをやりたくなったら、今度は【ゴールという瞬間を目指すゲーム】ではなく、
【ただプレイしてることが楽しいからやってるだけ】のゲームにしよーっと。
【私がここに居るから幸せ】の土台の上になりたつ、
やりたいことを楽しむ、それだけの暇つぶしをしよぉーーっと♪
