非居住者は国外財産調書の提出義務がなくなるだけでなく、日本国外の事業で得た所得や、海外の金融機関で運用した利益が合法的に非課税になる(それに対して日本の居住者は、海外で得たすべての所得が課税対象だ)。
そればかりでなく非居住者は、場合によっては日本国内で得た所得にも課税されない。このあたりの税法は複雑だが、日本国内に支店・事務所などの恒久的施設(PE)を持たなければ、原則として国内の事業所得に課税されないのだ(インターネット通販大手のアマゾンがこの手法で日本での課税を回避し、税務当局と紛争になった)。
非居住者の税務上のもっとも大きなメリットは、相続・贈与税にある。税法によれば、日本の居住者は「無制限納税義務者」として、国内・国外を問わず世界じゅうのすべての資産に対して相続(贈与)税を納めなければならないが、非居住者は一定の条件を満たすことで「制限納税義務者」となり、課税対象が国内財産のみとなる。すなわち、日本国籍を有していても非居住者であれば、金額にかかわらず海外資産の相続(贈与)をすべて非課税にすることができるのだ。
非居住者というと「海外居住者」のことだと思うだろうが、税法の定義は日本国内に「住所」を持たず、なおかつ「居住期間が1年未満の個人」なので、日本に住んでいる時期があっても非居住者であることは可能だ(同時に、長期旅行などで海外に暮らしていても、生活の本拠が国内にあると見なされれば居住者になる)。税務当局は居住か非居住かを「住居、職業、資産の所在、親族の居住状況、国籍等の客観的事実」によって判定するとしているが、その線引きはグレーゾーンが大きくしばしば裁判で争われることになる。だが自宅などを売却し、資産を海外の金融機関に移し、外国の居住権を取得したうえで一時的に日本に帰国してホテルなどに滞在することは、税法をかなり保守的に解釈しても「居住者」にあたらないのは間違いない。
5年以上の海外移住が必要
非居住者を利用した租税回避は武富士元会長の長男をめぐる税務訴訟で広く知られるようになったが、現在は要件が厳しくなり、相続人(受贈者)と被相続人(贈与者)がともに5年超、非居住者であることが必要となった。
親と子が5年以上海外で暮らすなら、相続税や贈与税がかからない。そう聞いても、ほとんどのひとは「なんでそんなことをするのか?」と訝しく思うだろう。これは当然で、仮に1億円の相続財産があったとしても、相続税の基礎控除(5000万円+法定相続人×1000万円)や自宅評価の特例(一定の要件を満たせば240平米まで80%減額)などを考慮すると実際の納税額は微々たるものだ。また非居住者であっても、不動産など日本国内にある資産は相続(贈与)税の対象になる。相続税対策を考える頃には親はかなりの年齢になっているだろうから、節税のためだけにわざわざ5年も海外で暮らすのはほとんどのひとにとって非現実的なのだ。
しかし実際には、相続税対策で海外に居住するひとたちがいる。大手企業の創業者など超富裕層で、彼らは数百億円、数千億円の資産を持っているから非居住者による「節税効果」がきわめて高く、また金に糸目をつけなければどこの国でも快適に暮らすことができる。わずか5年の海外生活で税金が合法的にゼロになるなら、こんなおいしい話はないのだ。
こうした超富裕層の実態はこれまでほとんど明らかになってこなかったが、『納税通信』12年7月30日号の「相続特集」で何人かの実名が明かされた。
記事によると、光学レンズ大手「HOYA」の鈴木洋CEOは今年1月からシンガポールに仕事の拠点を移し、取締役会があるときだけ日本に帰国しているという。「進研ゼミ」で知られるベネッセホールディングスの福武總一郎会長はニュージーランドに移住していおり、サンスターの金田博夫会長もスイスに移り、現地法人の代表に就任しているという。
だがこうした海外移住を、「租税回避」として一方的に非難することはできない。タックスヘイヴン国だけでなく、先進国のなかにも相続税のない国は、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、イタリア、スイスなど数多い(新興国の中国、インド、タイなども相続税はない)。さらには福祉国家で知られるスウェーデンも相続税や贈与税を廃止している。世界最大の家具販売店イケアの創業一族などが、税負担を嫌って国を捨てるのを恐れたためだという。
スウェーデンの事例を報じた『朝日新聞』(12年7月2日付朝刊)の特集「カオスの深淵」(第2回/橋田正城記者)には、元国税庁長官の渡辺裕泰・早稲田大学教授の「海外では、相続税は不公平な税と考えられている」とのコメントが紹介されている。富裕層は容易に相続税を逃れ、払うのは大都市に土地を持つような小金持ちだけ。だから、「米国では、(相続税は)払いたい人が払う『ボランタリータックス(自発的な税金)』と揶揄される」と元国税庁長官はいう。
税務当局の悲願だった国外財産調書制度も、海外居住を苦にしない超富裕層にはなんの効果もない。“逃げ場”がないのは、真面目に働いて資産を増やしてきた「成功した中産階級」だ。そんな彼らがPBにそそのかされて無理な「節税」に走り、税務当局との紛争が起きる。その悲喜劇を横目で見ながら富裕層は国を離れ、日本の経済格差はより広がっていくことになるのだろう。
【註】国外財産調書制度における「国外財産」とは、国外発行体が発行した株式や債券、例えば米国株や米国債を国内の金融機関で保有する場合も含まれる(日本の金融機関の国内支店の外貨預金は含まれない)。
この解釈だと、海外の金融機関に4000万円相当の金融資産を保有し、別に国内金融機関で2000万円相当の外国債券や外国株式を保有している場合は、合計で5000万円を超えるので、国内分と海外分を合わせて国外財産調書を提出しなければならないことになる。
これは「国外財産」の定義に相続税法など既存の法令を流用しているためで、制度の運用にあたって提出義務をめぐる混乱が危惧される。
本稿は『ZAITEN』2012年10月号に掲載された「“小金持ち”を待ち受けるタックスヘイヴン『租税回避』の罠」に加筆したものです。
(執筆・作家 橘玲)
<Profile>
橘 玲(たちばな あきら)
作家。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。「新世紀の資本論」と評された『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ベストセラーに。著書に『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術 究極の資産運用編』
『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術 至高の銀行・証券編』
(以上ダイヤモンド社)などがある。最新刊『(日本人)かっこにっぽんじん』(幻冬舎)が発売中。ザイオンラインとの共同サイト『橘玲の海外投資の歩き方』をオープン。
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