小学校の父母懇談会(当時は父兄会)に父親が来ることは稀で、たいてい、母親が来ます。


小1〜4年の頃も来ていましたが、ほとんど記憶にありません。

私が4年の時、妹二人は3年と1年です。

三人ともクラスでは一番勉強ができました。

おそらく、母は小学校卒で教育に自信がなかったと思います。父は小学校のあと、旧制工業を卒業していたので、妹や私が訊けば、教えてくれました。


私が5年生になった頃から、母は毒母になっていきます。

4年生までは、算国社理ともに各クラス担任がテスト問題を作成し、成績評価をしてました。


5年生になると、3つの理由で、統一問題テストがあります。

1)中学入学前の準備(トレーニング)

 統一問題テストは、一学期2回、二学期2

 回、三学期1回の年5回で算国社理の4科

 目です。

 この回数は中学の一学期の中間、期末、二

 学期の中間、期末、三学期の学年末テスト

 に対応しています。普段、クラス担任がす

 るテストは試験範囲が狭いので、範囲が広

 いテストに慣れさせる意味があります。試

 験範囲はそれまでに習ったこと全てです。  


2)クラスの5人くらいが中学受験します。

 たいていは女子で、合格すると女子大まで

 エスカレーターです。統一問題テストの偏

 差値と過去のデータから合格の可能性が分

 かります。


3)入学してからクラス替えがなく、国の学

 力テストで、クラスの平均点がかなりバラ

 ついた。


5年生の第1回は、5月なので、試験範囲の大半は4年生までです。夏休み前の第2回も5年生の教科書はまだ半分も行ってません。

5年生になって中1教科書を自習してました。


第1回、第2回と連続して4科目合計400点で学年の1番でした。各科目の100点は1人だけです。

授業が進むにつれて、試験範囲は広くなる一方です。当時は、中学受験の公開模試がありません。

そのため、6年生の統一問題テストは校内模試のようなものでした。ラストは6年生の冬休み明けの第10回です。


したがって10回受けたのですが、国語が満点なら合計も満点でした。6回か7回ありました。国語は満点でなくても1番になります。

中学生の学力の者が、小学生の問題をやるので当然の結果だと思いました。


先手必勝の有利性は、試験範囲が広いテストに強味が現れることを実感しました。試験範囲が広いテストは、高校入試や大学入試です。


母は、この統一問題テストの結果から、クラスの1番より上に学年の1番がいることを知ります。

漁村にある母の母校の小学校は1学年1クラスで、クラスの1番=学年の1番です。


妹二人にとって、ハードルがクラスの1番から学年の1番に上がります。


母は、毒母に変身していきます。


毒母の好きな言葉は、


100

1番

全部5(オール5)


です。


そして、5年生の時の父母懇談会で、不満が爆発します。


帰宅した毒母は、開口一番、「学年の1番なのにどうして全部5じゃないのと、文句を言ってきた」

と言いました。


それを聞いた父と私は驚愕しました。


父が「体育や家庭科が4でもいいじゃないか」と言っても納得しません。


全部5(オール5)になれば、毒母の好きな言葉が三つとも満たされます。


学年の1番と言っても、算国社理の4科目の話です。保健体育、家庭科、音楽、図工は、含まれてません。実技のある科目だからです。


妹二人も5年生になると、統一問題テストを受けますが、父から連立方程式を教えてもらったので算数は有利でした。父は小学校の教科書に関係なく、妹二人を教えていました。

そのため、試験範囲の広いテストに対応できました。

クラスで1番、学年で3番前後でした。


毒母のやる気を失わせる爆弾の炸裂は、中学校に持ち越しになります。


札幌市の時計台