中1の入学式の日、入学式のあと、教室で、クラス担任のU先生、生徒の自己紹介がありました。

担任は社会の先生と分かりました。

生徒の自己紹介は、氏名、卒業した小学校名、入りたい部、得意なことくらいでした。


そのあと、先生から授業時間割や年間行事予定などの説明がありました。


それで中学校一日目は、終わりです。

小学校の先生から中1の担任の先生に渡すように言われた手紙を渡しました。


私は、小学校の先生が紹介してくれた先輩が主将をしている軟式テニス部に入りました。


一週間後、職員室に来いと言われました。


「小学校の先生からの手紙を読んだ。英数国社理は中2終了レベルに達していると書いてあった。しかし、ハイそうですか、に異論のある先生がいるので、特別試験を受けてもらう。90点以上取れた科目は中3の勉強を自習していて良い」

「分かりました。一つだけお願いがあります」

「何だ?」

「テニス部に入ったので、試験は雨の日にお願いします」

「分かった。いいだろう」

翌日が雨で、国語と理科の試験を受けました。

その翌日も雨で、英語と社会の試験でした。

天気のいい日が続き、翌週の雨の日に数学の試験を受けました。計算するだけの単純な問題がない代わり、試験時間は5割増しの75分でした。


その翌週、職員室に呼ばれました。

数学は満点で、ほかの4科目は95点前後だったと言われました。

そして、5科目の授業中は、自由に自習していて良いことになりました。


GW明けの最初の試験は、550人中5番でした。

先生に職員室に呼ばれました。

主要科目(英数国社理)に比べて、当時、補助科目と呼ばれていた保健体育、音楽、美術、技術家庭がイマイチだったからです。

「高校入試に内申書が関係あるの、知ってるか」

「入試点と内申点の合計で合否を決めるですね」

「入試点が500点満点なら内申点は何点か、知ってるか?」

「オール5で45点の3年分の135点ですね」

「違う、違うよ。45点の10倍の450点が満点」

「そうなんですか」

「それで、4科目の2、3年分の教科書を集めておいたから、英数国社理を一時ストップして、こっちを先に片付けろ。数学の5も、音楽の5も同じだから」

「ハイ、分かりました」


補助科目の教科書の厚さは、主要科目の半分以下なので、こちらを先に片付けることにした。

次の試験では、3番に上がりました。


2年生になる時、先生はクラス担任を外れ、大学区制対策室長になった。

北海道教育委員会の正式発表は6月だった。生徒が知らないだけで、先生方は小学区制から大学区制になることを知っていたと思われる。生徒指導担当も兼ねており、教頭先生になる研修なども受けていた。


先生が室長なので、データ収集の一環として、9月から3年生と一緒に公開模試を受けることになった。

2年の夏休み前に中学の教科書レベルを終えたからです。先生からは5教科の全国高校入試過去問題集をもらいました。


中学校は一学年12クラス550人のマンモス中学です。

札幌地区(札幌市及び近隣市町村)の公開模試受験者は1万人程度です。


9月下旬は、平均81点で学内12番、札幌地区330番でした。

先生は「まあまあかな、平均85点くらいは行くと思った」と言いました。

公開模試は、高校入試過去問題集より難しいと思いました。

11月下旬は、平均91点で学内2番、札幌地区

81番にでした。

受験者に配られる冊子の表紙に上位100番まで順位、合計点、氏名、中学校名が掲載されます。私だけ、中学校名の横に(2年)と書いてありました。

先生は「2カ月で平均を10点上げるのは、すごい」と言いました。



私が中学校を卒業し、高校へ進学した時、先生は某中学校の教頭になった。


私の家には固定電話すら無かった。

高2の夏休み、手紙をいただいたので、先生の家に行った。


先生夫妻には、一人息子がいた。小3だった。


よし坊モデルで、教育したと聞いた。

私は、高校の嬢(英検1級)の話をした、


奥様は、中学で英語の先生をしていた。

いつ、辞めたかは知らない。たぶん、結婚か、出産の頃だろう。


よし坊モデルは、これで修正される。

私の話を聞いた奥様が、一人息子に英語を教え始めた。

小学校卒業までに中学の英語を終え、中学生の時は奥様も一緒に高校の英語を学んだそうである。


高校生になった息子は、英語と数学が抜群なので1年からずっと学年の1番だった。


私が東大大学院博士課程1年の3月、先生から突然の電話があった。


明日から息子が東大文科一類を受験するが、38度超の熱なので、試験場(東大駒場キャンパス)へ付き添いを頼みたいということだった。

翌朝、宿泊先のホテルに行き、駒場へ彼を連れて行った。正門からは、受験生しか、入れない。


考えてみると、私は大学院修士課程から東大に入ったので、駒場に行ったのは、その時が初めてだった。


彼が帰りは自分で帰ることができると言うので私は、渋谷、赤坂見附で乗り換え、本郷キャンパスの研究室に行った。




東大駒場キャンパスの正門です。


合格発表の日、先生から「合格」の連絡があり、付き添いを感謝された。