Secondaは、アンドレアとマルコ、二人のイタリア人によって営まれる、奥ゆかしく、そしてスローな洋服のブランドです。
アンドレアはWales Bonnerのチームを経験したのち、現在はLemaireの一員として働きながら、年に一度のコレクションを発表しています。
ハイコンテクストなファッションシーンに軸足を置きながらも、彼らは決して業界のスピードに追随することを選びません。ひとつひとつの作品に十分な時間を与え、考え、つくり、また考える。その時間そのものをクリエーションの一部として、アイデアをより完成度の高いものへと育てています。
Secondaを”ラグジュアリー”と呼ぶには、あまりにもインディペンデントです。一方で、”インディペンデント”と呼ぶには、そこから溢れ出るラグジュアリーを捉えきれない。
僕はSecondaを、その間にあるオルタナティブなブランドだと感じています。
実際、彼ら自身も、現代ファッションにおけるラグジュアリーとインディペンデントの間には、特に品質と価格において大きな隔たりがあると感じています。その「狭間」を、自分たちの立ち位置として選んでいます。
僕自身が洋服を好きになった入口は、間違いなくラグジュアリーストリートでした。
BALENCIAGAのダッドスニーカーや、VETEMENTSのオーバーサイズが街に現れ始めた頃。当時高校生だった僕にとって、もちろんすべてを買えるわけではありませんでした。VETEMEMESのようなブートブランドを着て、どうにかそのムードを自分のものにしようと躍起になっていたのが懐かしい。
右も左も分からなかった当時の僕を夢中にさせたように、ラグジュアリーには強い引力があります。
そして、その引力を生み出すためのコードが存在します。
最高級の素材を使うこと。
ラックに並んだとき、それだけで完成された洋服であること。
一目見ただけで、そのブランドのものだと分かること。
そうしたコードが守られるからこそ、ラグジュアリーはラグジュアリーとして機能し続けるのかもしれません。
Secondaは、そのコードを堅守しながらも、あくまでインディペンデントな立ち位置に留まっています。
オーバーサイズにリサイズされたバイカージャケットには、デムナが生み出したような既視感と違和感が同居している。
かんぬきが異常なほど下に配されたエイジングデニムには、マルタン・マルジェラを思わせる脱構築的な視点がある。
バッグへとトランスフォームするプルオーバーにはBLESSのような可変性があり、巨大なボストンバッグには、SONOのような空想的なプロダクトへの眼差しがある。
しかしそれらは決して過去の発明をそのまま引用したものではありません。
既存の枠組みに囚われず、新しい価値をつくってきたゲームチェンジャーたちへのリスペクトを持ちながら、それらを単なる記号として消費するのではなく、異なる要素を組み合わせることで、また別の価値の枠組みへとシフトさせる意志を持っている。
そこにSecondaの面白さがあるように感じます。
僕らがこれまで提案してきたBLESSやSUSAN CIANCIOLOをはじめとするインディペンデントブランドにも、同じような意志を感じています。
インディペンデントでありながら、妥協のない品質を持つこと。
実験的でありながら、洋服としての完成度を失わないこと。
それは、僕がSecondaの服を店頭で実際に手に取ったときに、強く感じたことでもあります。
写真で見ていたとき以上に、素材や仕立て、ディテールの一つひとつに説得力がある。そして、それらが組み合わさったときに生まれる佇まいには、確かにラグジュアリーと呼びたくなるものがある。
あの頃僕が憧れたラグジュアリーが、今手の届く距離にSecondaとして現れました。
憧れを憧れのままポケットにしまい込むのではなく、一思いに飛び込んでみる。
そうすれば、あの頃とはまた違った形で、新しい感覚を刺激してくれるはずです。
ブランドとしてのファーストコレクションとなる今回のコレクションは、Secondaのこれからを方向づけるデビューコレクション。
移転を契機に心機一転NEW FOMEに、またひとつ新しい引き出しが増えました。
ぜひ店頭で、実際に袖を通してみてください。
アツヒロ
















