5月といえば五月病、そしてMayDay。

私の通ったバンドの中に、cali≠gariというバンドがいました。

とにかくコテは馬鹿にする、ファンは馬鹿にする他のバンドのファンも馬鹿にする、そして自分の

バンドすらもけなす。そんな捻じ曲がったバンドでした。

当時、といっても3,4年前でしょうか。ムックと掛け持ちでひたすらあのバンドを追いかけてました。

本当に、今思うとへんてこなバンドです。

ヴォーカルはやる気がなくて、ギターはホモで、ベースは粘着似非紳士で、汗かきですぐにおろおろするドラム。

あの個性が炸裂した面子がよくもまぁ4年くらいですかね?続いたよなぁと思います。

でも、惹きつける力は確かに強かった。それは否めません。

そんな彼らが休止してもうすぐ三年が経ちます。

最後の日比谷野外大音楽堂に集まったファンと関係者。

関係者に関しては、ちょっとした同窓会のような面子が顔を揃えていたのを覚えています。

それだけの人たちとかかわってできたカリガリは、本当にすごいと思いました。

なんどもメンバーチェンジして、一度活休だってしてる。無期限活休なんて珍しい事じゃないと、某雑誌でホモのギターが言っていた気がします。

そんなことを言われたら、なんとなく期待してしまうのがファンの心情です。

活動休止した今でも、いつかはひょっこり戻ってくるんじゃないかと、そんな儚い夢を見ています。

今更ながらそんな事どうでもいいことですが。

つい最近PIERROTというバンドが突然解散してしまったんです。

彼らは私をバンギャにしやがった張本人。

もう何年も前に上がってしまったバンド。

しかし、解散と聞いたときなんとも言いがたい悲しさとむなしさが襲いました。

彼らに何か切っても切れない思いが残っていたのだろうか?

そりゃそうかもしれません。だって、あんなにも信者だったのだから。


初めて聞いた曲はパンドラです。

自殺の理由なんてまんまな題名に心惹かれ、気がついたらライブに行っていました。

そのままあれよあれよとバンギャまっしぐらです。

キリトさんの言葉に涙した日もあったり、尊敬していたときもありました。

今思えばあれはかなり盲目なバンギャの姿でした。

キリター(キリトのファンの事)であった私はキリト信者でもありました。

もちろんキリトを裏切る訳もいかず、一切Dirは聞いてません。

生徒手帳にはキリトの写真を常備。

痛々しいきまわりない。

誰にでもある痛々しい過去。

痛い過去を持っていない人なんていません。

人は痛いことをしてからこそ、普通の人間になれる。

痛いままのひとは成長できないんですね。

キリトはその大切な事を身をもって教えてくれたのでしょう。(そんな馬鹿な)

ありがとうキリト。ありがとうPIERROT。

本当に、痛い、楽しい想い出をありがとう。

バンギャルとはヴィジュアル系バンドが好きでヴィジュアル系バンド中心の生活を送る女の事である。(ヴィジュアル系板用語辞典まとめサイトより)


とは一口に言ったものの、その種類は様々で、いろんな形をして世の中に生息している。

具体的なバンギャ例を挙げるとわかりやすいと思われるのはクラスに一人はいたであろう、鞄に好きなバンド名等を書いた子やヴィジュアル系雑誌を授業時間休み時間問わず熟読している子のことである。

いつもは教室の片隅でひっそりと、時には周りをドン引きさせる迫力を兼ね備えたバンギャ。

普通の人から見たら単なる頭のかわいそうな子と思われるであろう。

しかし、これだってバンギャのほんの一部にしかすぎない。

少し人の居るところに出てあたりを見渡せばバンギャは必ずいる。

バンギャはただバンドが好きなだけで普通の人と変わらないのだ。

だがどんなに普通にしていても拭いきれない世間のイメージがある。

それはヴィジュアル系が好き=痛いである。

少しでもその話、それを連想させる格好をすれば、なぜか引かれるかスルーされてしまう。

別に精神的に病んでないのにヴィジュアル系が好きというだけで、他人様からは一歩引いた扱いを受けてしまう。

正直迷惑な話でもあるが、バンギャになってしまった以上しかたのないことなのかもしれない。

もっとも、このことを気にしている人間は一般人の前ではヴィジュアル系の話をしないだろうが…。



バンギャは普通とは変わらない。特別な存在ではない。

バンギャはオタクやジャニオタと変わらない。

でも他とはまた違う世界やルールが存在する。

だからバンギャは面白い。

バンギャではない人はくだらないと鼻で笑うだろうけど。

こればっかりは中に入ってみないとわからない。


特別というわじゃないのに特別な存在。

それがバンギャル。