よく考えたら事故したのは昨年の今日だった。まる1年働いていないことになる。一回目の退院のあと、職場から正月には手が足りなくなりそうだから、食事介助だけでも出られないか?と連絡があって2、3日手伝いに行っただけだ。一応まだ会社に籍は置いてあるが、気が向いた時に1時間ほど顔を出すだけだ。休業補償は先月打ち切られたが、母が残してくれたお金のおかげでなんとかなってる。働いていたほうが、いろいろ上手くいくのだろうが、人が死んでいく仕事に今は戻りたくない。車にはねられたのは、職場まであと50メートルほどのところ。救急車がくるまで、何とかケータイで会社に電話かけたら3人ほど、すぐに見にきてくれた。看護師でもある施設長は俺の様子をみて「こりゃ折れとるな」と一言。それから三重大まで、あとから追いかけてきてくれた。
日用品とかの差し入れも転院した病院に持ってきてくれた。そういう義理を考えると「辞めます」とはなかなか言いにくいが、二度目の入院の時に「もう、こういう状態なんで次の人探してください」とは言ってある。今はもう当てにはされてないだろう。たまに手伝いに行っても給料は要らないと言ってある。昨年母を亡くして、この前は、この町での恩人が亡くなった。三重ダルクの創設当時のいちばんの支援者でもある人だった。俺はよくその人に話を聴いてもらってた。母の住んでた家と小さな畑は弟のものになり、遺産の半分以上は詐欺まがいの手口で親戚が盗んでいった。これから先いいことがあるとも思ってないが、今が転機なのだろう。
今月末には福島に行く予定だ。9月には熊野を何日間か歩く予定だ。いつ死んでもいいけど、今はまだ生きてよう。
いつか、生き甲斐が見つかるかもしれないから。