夏休み期間のバイトとしてのテープ整理。

ひとりぼっちの倉庫生活は毎日が淡々と過ぎて行った。


仕事の内容がテープの中身の確認と台帳作りのため

ロケ素材をデッキに入れテープを再生する…

段ボールに入ったロケ素材は

朝とお昼のワイドショーの(芸能人のインタビュー、突撃取材等)が

全体の8割を占めており、編集していない素材そのままを見られるのは

ある種の衝撃だった。

当時のワイドショーは悪名高く、

現在とは違いかなり写真週刊誌的なノリだった為

当然アポ無し突撃取材が多く…

有名なタレントの意外な素顔がたくさん見られた。


あっと言う間に2ケ月が過ぎて

テープの整理もなんとか終わり

何のコネも作れる事無くバイトの期限は切れた。

それでも最終日、業務部の部長さんを含めた数人の方々が

バイト学生である小生の為に

ちょっとした送別会を開いて下さった事に感激しました。

朝と夕方に少しだけ顔を合わせるだけの方々なのに…


秋、夏休みが終わって元の生活に戻った。


小生は訳有って、入学時から大学の授業料を

自分のバイト代から払わねばならず、ひとり暮らしの生活費もあり

前期分を支払い期限ギリギリの日に出納課へ持参するという有り様。

テレビ朝日のバイト以前から

すでにバイト生活に追われ、ろくに大学も行けず…

このまま行っても卒業なんかできないだろうと思っていたから

唯一、テレビの仕事に憧れて上京した事以外は東京での生活に

魅力を感じていなかった。


「中退して田舎帰るか…」

そんな事を考えながら秋が過ぎ…



ある日、東武東上線の川越にあった

家賃3万円のアパートを引き払い岐阜に帰る事にした。

池袋、新宿で乗り換えて中央線快速で東京駅に向かう。

「夢に見たテレビの仕事はテープ整理だけに終わったか…

 田舎のツレにはいつかテレビの仕事すんねん!絶対頑張るわ!

 と大見栄切って東京来たのに…何やってんだかな。

 大学もアカンしもう東京に来る事も無いかも知れないな。」

…電車の窓から

四谷あたりから続くお堀を見て

せめてこの景色を目に焼き付けておこうと思った。



そしてこの画は24年経った今でもこの時の事を思い出す風景である。



かくして…田舎に帰り親父とお袋に謝ってから大学を辞めて…

どこかでバイトか就職探して…ひっそりと岐阜で暮らす事にしたのである。


休みでも帰って来なかったので2年ぶりの岐阜での生活。

当然家には居辛かったが

大手スーパーでとりあえずバイトをした。

食料品コーナーでの陳列、年末のワゴンセール、

大声でお客さんを呼びこんだり…


そして、正月明けには退学届を提出して

親父の部下だった人が所長を務める

自動車メーカーの子会社の

これまた小さな営業所へ就職する事になった。



そして1986年1月。



一本の電話がかかって来た。

「テレビ朝日のOです。」

業務部の課長さんだ…

「あ、去年の夏はありがとうございました。」

「実はお昼のワイドショーのアルバイトが続けて2人も逃げちゃってね。」

「はい。」

「それで誰かいないかと言われたもんだから、夏に倉庫でひとり

 真面目にやった学生がいるんだと、君を推薦したんだ。」

「はい。」

「冬休みが終わってからだろうけど、ADやってみるかね?

 私が保証人と言うことで…」

「はい!是非お願い致します!!」


決まっていた就職先にお詫びをして

スーパーのバイト代を全部持って…

夜行バスで…小生は東京へ向かったのである。


ウソのような話だが…すべて実話である。