色々とあり、色々と考えて…会社設立シリーズ以前の
小生について…テレビの仕事経歴を…
これまた不定期ではありますが書き残したいと思い新シリーズを始めます。
皆さまの何かのお役に立てれば幸いです。
1985年の春。
田舎の高校生だった小生は「テレビのディレクター」になる為
長い間お世話になっていたリーゼントの前髪を切り
東京の大学に進学。2年生になっていた。
ひょんな事から知り合いになった別の大学にいる知人が
当時テレビ朝日の学生アルバイトでADをやっていて
小生がテレビディレクターを目指していると話すと
「じゃあアルバイト担当に話してみるよ」
という訳で念願の「テレビ制作」の現場に携われる道筋ができた。
後日テレビ朝日人事部のSさんという女性に面接してもらうため
六本木アークヒルズへ向かう。
貧乏学生だったためバイトを掛け持ちしていたが
この際全部辞めてADのアルバイトに賭けてみよう!と意気込んだ。
Sさんは優しそうでとても感じ良く、ニコニコ笑いながら告げた
「保証人がひつようなの。いわゆるコネね。誰でも良いというわけにはいかなくて」
「え…コネですか?」
「そう…スポンサー筋とか、この仕事をやっている偉い人とか…います?」
「思い当たりません…」
「そっかぁ…ごめんなさいね…」
「あの…トイレ掃除とかでもいいんですが…」
「(笑)そういうのは専門の業者さんがやるから」
「なんでもいいんです…」
「ごめんなさいね。アルバイト学生も色々と問題起こす人がいて…
だからそれなりのコネがないと危なくて…仕方ないのよ。」
紹介してくれた知人は確かに叔父がプロデューサーだったか…
人事面接で断られた旨を電話で話すと…
「そうなんだぁ…ゴメン。」
「例えば……叔父さんに頼んで貰えたりしないかな?」
「え?…ちょっと厳しいな…ゴメン。」
という訳でそれほど親しいわけでもない彼にこれ以上の無理は言えなかった。
そもそも厚かましいお願いである。
それから数日後…
諦めきれず、再びSさんにアポをとって会いに行った。
「誰かコネになりそうな人見つかった?」
「いえ。でも頑張りますから、なんとかお願いできませんか?」
アホな話である。
ダメだと言っているのに。
今から思うと、他の選択肢…
例えば下請けの制作会社のアルバイトを探すとか…
考えれば良さそうなものだが、当時は唯一の道だと信じて疑わなかった。
果たして当時のアルバイト情報誌に「テレビのAD募集」自体あったかどうか。
バブル時、今では考えられないが
テレビの仕事は華やかなイメージがあり、広告代理店とともに
割と優秀な学生が就職を希望する業界としてランキング上位だったと思う。
小生は卒業まで待って就職するという考え自体、ハナから無く
テレビの仕事を一刻も早くやる為に受験をし、上京した。
なんだったら大学も退学して働きたかった位だ。
2度目も断られたが…
頻繁に人事部のSさんに電話をした。
きっと呆れていた事だろう…まるでリクルートストーカーである。
最初の面接から3ヶ月たった夏のある日…
電話をした小生にSさんは意外な事を言った。
「弊社がアークヒルズに生放送系の業務を移した関係で
今まで収録したテープの倉庫移転があり、
その整理をする夏期アルバイトはどう?」
「やります!」
きっとおかしな学生に付きまとわれて困っていたのだろう。
そもそもそんなバイトがあったのかどうかも分からない。
Sさんなりの優しさだったのだろうか…?
ともあれ、20歳の小生は、テレビ業界へと足を踏み入れた。
契約はこうだ。
業務部(総務みたいなところ)預かりで2ケ月の短期アルバイト。
朝10時、アークヒルズのテレビ朝日に行ってタイムカード(死語か)を押す。
六本木6丁目にあった(現六本木ヒルズ)六本木センターへ向かう。
1階にできたテープライブラリーにあるダンボールからテープを出し
テープの中身を確認しながらジャンル毎に分けて
台帳を書いて整理していく。
(今ならパソコン入力だろうが…当時はアナログである)
18時、再びアークヒルズに戻り、退社のタイムカード記入。
土日はお休み。
バイト代は月約20万位か。
なんでも良かった。
2ケ月で充分だ。アピールして有能である事を見てもらい
きっとそれで社内にコネができるはず。
バリバリガツガツやるぞ!と誓った。
アルバイト初日、ライブラリーに入った…
小生に仕事の段取りを説明して業務部の方は帰って行った。
すると……………無人である。小生だけが大きな倉庫にひとり。
アピールすべき人は誰も居なかった。
1日8時間、誰もいない倉庫での仕事だった。
社内で喋る事と言えば
出社時「おはようございます。」退社時「お先に失礼します。」だけ。
「参ったな…」
とりあえず…始めるか。
小生は「芸能班取材テープ」と書かれた段ボールからテープを取り出した。
小生について…テレビの仕事経歴を…
これまた不定期ではありますが書き残したいと思い新シリーズを始めます。
皆さまの何かのお役に立てれば幸いです。
1985年の春。
田舎の高校生だった小生は「テレビのディレクター」になる為
長い間お世話になっていたリーゼントの前髪を切り
東京の大学に進学。2年生になっていた。
ひょんな事から知り合いになった別の大学にいる知人が
当時テレビ朝日の学生アルバイトでADをやっていて
小生がテレビディレクターを目指していると話すと
「じゃあアルバイト担当に話してみるよ」
という訳で念願の「テレビ制作」の現場に携われる道筋ができた。
後日テレビ朝日人事部のSさんという女性に面接してもらうため
六本木アークヒルズへ向かう。
貧乏学生だったためバイトを掛け持ちしていたが
この際全部辞めてADのアルバイトに賭けてみよう!と意気込んだ。
Sさんは優しそうでとても感じ良く、ニコニコ笑いながら告げた
「保証人がひつようなの。いわゆるコネね。誰でも良いというわけにはいかなくて」
「え…コネですか?」
「そう…スポンサー筋とか、この仕事をやっている偉い人とか…います?」
「思い当たりません…」
「そっかぁ…ごめんなさいね…」
「あの…トイレ掃除とかでもいいんですが…」
「(笑)そういうのは専門の業者さんがやるから」
「なんでもいいんです…」
「ごめんなさいね。アルバイト学生も色々と問題起こす人がいて…
だからそれなりのコネがないと危なくて…仕方ないのよ。」
紹介してくれた知人は確かに叔父がプロデューサーだったか…
人事面接で断られた旨を電話で話すと…
「そうなんだぁ…ゴメン。」
「例えば……叔父さんに頼んで貰えたりしないかな?」
「え?…ちょっと厳しいな…ゴメン。」
という訳でそれほど親しいわけでもない彼にこれ以上の無理は言えなかった。
そもそも厚かましいお願いである。
それから数日後…
諦めきれず、再びSさんにアポをとって会いに行った。
「誰かコネになりそうな人見つかった?」
「いえ。でも頑張りますから、なんとかお願いできませんか?」
アホな話である。
ダメだと言っているのに。
今から思うと、他の選択肢…
例えば下請けの制作会社のアルバイトを探すとか…
考えれば良さそうなものだが、当時は唯一の道だと信じて疑わなかった。
果たして当時のアルバイト情報誌に「テレビのAD募集」自体あったかどうか。
バブル時、今では考えられないが
テレビの仕事は華やかなイメージがあり、広告代理店とともに
割と優秀な学生が就職を希望する業界としてランキング上位だったと思う。
小生は卒業まで待って就職するという考え自体、ハナから無く
テレビの仕事を一刻も早くやる為に受験をし、上京した。
なんだったら大学も退学して働きたかった位だ。
2度目も断られたが…
頻繁に人事部のSさんに電話をした。
きっと呆れていた事だろう…まるでリクルートストーカーである。
最初の面接から3ヶ月たった夏のある日…
電話をした小生にSさんは意外な事を言った。
「弊社がアークヒルズに生放送系の業務を移した関係で
今まで収録したテープの倉庫移転があり、
その整理をする夏期アルバイトはどう?」
「やります!」
きっとおかしな学生に付きまとわれて困っていたのだろう。
そもそもそんなバイトがあったのかどうかも分からない。
Sさんなりの優しさだったのだろうか…?
ともあれ、20歳の小生は、テレビ業界へと足を踏み入れた。
契約はこうだ。
業務部(総務みたいなところ)預かりで2ケ月の短期アルバイト。
朝10時、アークヒルズのテレビ朝日に行ってタイムカード(死語か)を押す。
六本木6丁目にあった(現六本木ヒルズ)六本木センターへ向かう。
1階にできたテープライブラリーにあるダンボールからテープを出し
テープの中身を確認しながらジャンル毎に分けて
台帳を書いて整理していく。
(今ならパソコン入力だろうが…当時はアナログである)
18時、再びアークヒルズに戻り、退社のタイムカード記入。
土日はお休み。
バイト代は月約20万位か。
なんでも良かった。
2ケ月で充分だ。アピールして有能である事を見てもらい
きっとそれで社内にコネができるはず。
バリバリガツガツやるぞ!と誓った。
アルバイト初日、ライブラリーに入った…
小生に仕事の段取りを説明して業務部の方は帰って行った。
すると……………無人である。小生だけが大きな倉庫にひとり。
アピールすべき人は誰も居なかった。
1日8時間、誰もいない倉庫での仕事だった。
社内で喋る事と言えば
出社時「おはようございます。」退社時「お先に失礼します。」だけ。
「参ったな…」
とりあえず…始めるか。
小生は「芸能班取材テープ」と書かれた段ボールからテープを取り出した。