2008年5月
DOORSのスタンバイが始まった。
小生と初回から担当してきた総合演出 K さんがドラマに異動。
小生は総監督としてひとりで全ての打ち合わせをやる。
演出陣として「ひみつのアラシちゃん」からWが加わった。
Wはその昔、小生のADをやってくれた優秀なディレクターだ。
1997年から2004年まで、小生はTBSで「SASUKE」を演出していた。
2000年の頃、様々なアイデアを出し、その後のSASUKEに
暫くの間登場した殆どのアトラクションはWと小生が作った。
そういう訳でWは小生の演出方法をよく理解してくれている。
Uプロデューサーは上記の事を踏まえ、
演出にWが加えていただいた事は非常にありがたかった。
今年のDOORSの収録までの経過はこの「会社設立シリーズ」以外の
記事にある通りなので割愛する。
2004年の夏、小生が社長を引き受けたこの「FOLCOM.」
会社を始めた頃、全く仕事が無く、潰れるだろうと誰もが思っていた。
今ではなんとかギリギリ食っていけるようにまでなって来た…
ひとえに副社長F以下社員全員の頑張りと高い志のお蔭である。
これを書いている本日、再び胃ケイレンに襲われた。
初めて胃ケイレンになったのは会社が傾きかけていた時だった。
仕事を探して必死だったがいわゆる「営業」というモノをした経験が
無かった為に知らずにストレスを溜めていたのだろう。
十二指腸潰瘍も併発し、救急で病院に担ぎ込まれ、点滴を受けながら…
「このまま倒れたら会社も倒れるんだなぁ…」と天井を見ていた事を思い出す。
生まれて初めて倒れた時なんていうのは色々重なるもので…
以前の記事に書いたのだが…。
弊社と契約しているフリーディレクターにUというのがいる。
彼は設立メンバーで当時ADだった。
Uは大分県の出身である。
小生が倒れた頃と時を同じくして、Uのご尊父が癌を患った。
UはTBSのバレーボールのスタッフとして弊社から出向中だった。
Uは実家にいるご母堂が看病で疲れ、御嫁に行かれた姉上も大変だと
小生に相談してきた。
「父が亡くなるまで大分に帰りたい」…と
ただ世界大会を間近に控え、TBSのスタッフにはとても迷惑をかける。
小生はUの気持ちを聞き、プロデューサーにその旨をお詫びに行った。
御好意で了承を戴いた。
Uは大分に帰った
「御迷惑をおかけしてすみません…いつまで父の命が続くか分からないので
いつ帰ってくるか言えません…」と言い残して。
当時、恥ずかしい話だが、弊社には番組もほとんど無く、金も無かった。
小生も数か月無給なんてザラだった。
Uは当時、弊社の社員である。
しかしTBSからギャラが入って来なくなると給料が払えないのだ。
Uも「御迷惑をかけているのだから給料なんていりません」と言った。
大きな会社なら貯まっていた有給休暇を数か月…なんて事もあるのだろう。
設立1年目、弊社にはその余力が無かった。
社長である小生の責任である。
結局、小生は大分に帰っていてもUに給料を払う事にした。
自分の働いた分をUに払えばいいのだ。
必死でUの給料分を毎月払えるように働いた。
小生はゼロでもUにはなんとしても払った。
十二指腸と胃を患ったが休んでいる場合では無かった。
なぜか…?
以前…37歳の時、小生も同じような境遇にあった。
しかし、当たり前だが当時所属していた会社から給料は出なかった。
病んで、死んでゆく者を毎日看ながら数か月、日に日に金に困った。
葬儀の日、金はすっかり無くなっていた…。
悲しかった。
Uは7人しかいないFOLCOMの社員である。
不安ばかりの船出に付き合って小生を信じて弊社に来てくれた。
それだけでありがたい。
Uは大分で苦しむ父と看病に疲れた母を毎日支えているのだ。
あの時の小生と同じように…
Uの姉が仕事の事を心配して毎日Uに「戻れ」と言っていたらしく
ある日Uからメールが届いた。
小生はUの携帯のメールにお姉さんあてのメールを送った。
「UはFOLCOMの家族です。今、彼にとって仕事より大切なものがあります。
家族が死んでゆくのは辛いことですが、今、彼は、それを見ておかければいけません。
此の度の事はご家族にとって残念な事ですが…U君の人生において大切な時間です。
毎月の給料と戻ってからの事を御心配なく」…と
Uのお姉さんはこのメールを見て泣き崩れたそうである
小生は…精一杯虚勢を張っていた。
だって車も売り、マンションのローンも区民税も滞納してたんですから(笑)
7か月後、Uは東京へ戻って来た。
小生はバレーボールのプロデューサーにUをもう一度使ってもらいに
頭を下げにいった…
Uは初回DOORSのADだった。
もうあれから4年である。
小生も年をとった。
体もかなりガタが来ている…
次回、「放りこむ.という会社…テレビ界を変える」最終回にいたします。
DOORSのスタンバイが始まった。
小生と初回から担当してきた総合演出 K さんがドラマに異動。
小生は総監督としてひとりで全ての打ち合わせをやる。
演出陣として「ひみつのアラシちゃん」からWが加わった。
Wはその昔、小生のADをやってくれた優秀なディレクターだ。
1997年から2004年まで、小生はTBSで「SASUKE」を演出していた。
2000年の頃、様々なアイデアを出し、その後のSASUKEに
暫くの間登場した殆どのアトラクションはWと小生が作った。
そういう訳でWは小生の演出方法をよく理解してくれている。
Uプロデューサーは上記の事を踏まえ、
演出にWが加えていただいた事は非常にありがたかった。
今年のDOORSの収録までの経過はこの「会社設立シリーズ」以外の
記事にある通りなので割愛する。
2004年の夏、小生が社長を引き受けたこの「FOLCOM.」
会社を始めた頃、全く仕事が無く、潰れるだろうと誰もが思っていた。
今ではなんとかギリギリ食っていけるようにまでなって来た…
ひとえに副社長F以下社員全員の頑張りと高い志のお蔭である。
これを書いている本日、再び胃ケイレンに襲われた。
初めて胃ケイレンになったのは会社が傾きかけていた時だった。
仕事を探して必死だったがいわゆる「営業」というモノをした経験が
無かった為に知らずにストレスを溜めていたのだろう。
十二指腸潰瘍も併発し、救急で病院に担ぎ込まれ、点滴を受けながら…
「このまま倒れたら会社も倒れるんだなぁ…」と天井を見ていた事を思い出す。
生まれて初めて倒れた時なんていうのは色々重なるもので…
以前の記事に書いたのだが…。
弊社と契約しているフリーディレクターにUというのがいる。
彼は設立メンバーで当時ADだった。
Uは大分県の出身である。
小生が倒れた頃と時を同じくして、Uのご尊父が癌を患った。
UはTBSのバレーボールのスタッフとして弊社から出向中だった。
Uは実家にいるご母堂が看病で疲れ、御嫁に行かれた姉上も大変だと
小生に相談してきた。
「父が亡くなるまで大分に帰りたい」…と
ただ世界大会を間近に控え、TBSのスタッフにはとても迷惑をかける。
小生はUの気持ちを聞き、プロデューサーにその旨をお詫びに行った。
御好意で了承を戴いた。
Uは大分に帰った
「御迷惑をおかけしてすみません…いつまで父の命が続くか分からないので
いつ帰ってくるか言えません…」と言い残して。
当時、恥ずかしい話だが、弊社には番組もほとんど無く、金も無かった。
小生も数か月無給なんてザラだった。
Uは当時、弊社の社員である。
しかしTBSからギャラが入って来なくなると給料が払えないのだ。
Uも「御迷惑をかけているのだから給料なんていりません」と言った。
大きな会社なら貯まっていた有給休暇を数か月…なんて事もあるのだろう。
設立1年目、弊社にはその余力が無かった。
社長である小生の責任である。
結局、小生は大分に帰っていてもUに給料を払う事にした。
自分の働いた分をUに払えばいいのだ。
必死でUの給料分を毎月払えるように働いた。
小生はゼロでもUにはなんとしても払った。
十二指腸と胃を患ったが休んでいる場合では無かった。
なぜか…?
以前…37歳の時、小生も同じような境遇にあった。
しかし、当たり前だが当時所属していた会社から給料は出なかった。
病んで、死んでゆく者を毎日看ながら数か月、日に日に金に困った。
葬儀の日、金はすっかり無くなっていた…。
悲しかった。
Uは7人しかいないFOLCOMの社員である。
不安ばかりの船出に付き合って小生を信じて弊社に来てくれた。
それだけでありがたい。
Uは大分で苦しむ父と看病に疲れた母を毎日支えているのだ。
あの時の小生と同じように…
Uの姉が仕事の事を心配して毎日Uに「戻れ」と言っていたらしく
ある日Uからメールが届いた。
小生はUの携帯のメールにお姉さんあてのメールを送った。
「UはFOLCOMの家族です。今、彼にとって仕事より大切なものがあります。
家族が死んでゆくのは辛いことですが、今、彼は、それを見ておかければいけません。
此の度の事はご家族にとって残念な事ですが…U君の人生において大切な時間です。
毎月の給料と戻ってからの事を御心配なく」…と
Uのお姉さんはこのメールを見て泣き崩れたそうである
小生は…精一杯虚勢を張っていた。
だって車も売り、マンションのローンも区民税も滞納してたんですから(笑)
7か月後、Uは東京へ戻って来た。
小生はバレーボールのプロデューサーにUをもう一度使ってもらいに
頭を下げにいった…
Uは初回DOORSのADだった。
もうあれから4年である。
小生も年をとった。
体もかなりガタが来ている…
次回、「放りこむ.という会社…テレビ界を変える」最終回にいたします。