スコットランドでの
中村俊輔選手のロケは無事成功した。
中村選手の素晴らしい人柄のお蔭だ。
マネージャーさんの計らいでセルティックの試合も観戦した。
30年来、プレミアリーグのファンだった小生は
スコティッシュプレミアリーグのスタンドで観戦できた事に感激した。
プレミアのサポーター達はどこのリーグよりも素晴らしいと思うからだ。
日韓Wカップの際、横浜で日本戦を観戦した時。
日本リーグ時代からサッカーを見ていた小生には
日本でW杯が観られるなんて想像もしなかったから
スタンドに入る入口ですでに涙腺がウルウルきていた。
同じようにプレミアのピッチを見て…グッときて泣けた。
余談はさておき
帰国後いくつかのロケを足早に終えスタジオ収録。
編集を済ませ、無事オンエアできた。
ご覧になった方は少ないだろうが、とても面白い良い番組だった。
この年末、もういくつかの特番を抱えていたが、朦朧としながら
なんとかこなした。
大晦日、TBSの格闘技イベント「Dynamite!!」の中継に
数年ぶりで携わり…激動の2006年は終わった。
2006年、このブログ上では省略したが、4月以降テレビ東京を含め
TBS、日本テレビ…様々な方々のご支援を賜り、特番だけではあったが
かなりの本数の仕事を頂戴した。
そしてフジテレビ、テレビ朝日の方々を御紹介頂いた作家Hさん、
ナレーターの T・T さんに感謝したいと思います。
2007年 1月某日
赤坂D社の会議室に春からスタートする「新番組」のスタッフが集まった。
プロデューサーのK、作家Mちゃん、Kちゃん…総合演出は小生と
2年前深夜で御一緒した超有名演出家Sさんの2人体制となっていた。
FOLCOM.からも取締役のディレクター T、ADのSが参加。
新番組は「ゲームアトラクション番組」で土曜の20時という枠だった。
アトラクション開発は小生が、番組の構成・内容面の演出はSさんが担当。
様々な番組でSさんはその圧倒的な演出力を発揮していたのでKも小生も
心酔していた。
更に言うなら、編成も小生だけでは心もとないがSさんがいれば
大丈夫という事でTBSが総合演出としてSさんを立てたのだ。
春、小生はある人物にスタッフとして加わるようにお願いをした。
Hというディレクターである。
Hは前のチームで一緒にやっていたディレクターだ。
元々建築家を目指していたH。
建築デザイン事務所からの転身という変わり種で
その技術を生かし、小生の作るスポーツアトラクション番組では
美術関連の部分を任せる位のディレクターだった。
当然、美術さんとの会議・打ち合わせには全て帯同していたから
小生が持つノウハウと同じノウハウを持つ唯一の人間である。
そして小生が抜けた後も正月のスポーツ大特番の演出として活躍していた。
我々が会社を作った年、前のチームを抜けFOLCOM.への加入を
希望してくれたのだが、実際Hが来てもやってもらう仕事が無かった。
当然、給料も払えない。
気持ちは有難かったが…
これと前後してTBSの社員を辞め、テレビ番組だけでなくミュージカルの
興行などで成功を収めていた前チームのプロデューサーは
独立してM社という新しい会社を興していた。
小生は自身もTBSの局員を辞め前チームのプロデューサーの
会社に移籍したKという演出家に会いに行った。
「Hが君達のチームのM社を辞めてFOLCOM.へ入りたいと言ってきたんだ。」
前チームのプロデューサーからの信頼も厚いHがそんな事を考えているとは
全く思いもよらなかったらしく、Kはショックを受けていた。
「なにかM社の仕事にモチベーションを失っているらしい…
少し責任ある仕事を任せて、モチベーションを上げさせたらどうだろうか?」
「そうですねぇ…」
「今、Kも知っていると思うけどウチには仕事が無いんだ。
Hの気持ちは有難いんだが…これが本音なんだ。」
この後、何度もHはFOLCOM.への加入を希望してくれたのだが
毎月の給料保障ができないからと断っていた。
そしてM社の命によりHはお台場にオープンするという
スポーツテーマパークの準備に入ったところで…
「僕はテレビの仕事をする為に建築業界を辞めたんです。
ゲームセンターの支配人になる為では無いんです!
もう我慢の限界です!」
そう周囲には漏らしていたらしい。
2006年、年末。お台場にそのテーマパークが完成して
「途中で逃げ出すのは無責任だからここまでやりました。」
2007年、Hは取締役にもなっていたM社を辞める事を決意する。
しかし小生達が2007年春「ゲームアトラクション番組」をやるという噂を
聞きつけたM社では「Hが加入するのではないか!」と
引き止めが始まったらしい。
弁護士まで入れて「INUI達がやる新番組に参加しない」という誓約書に
サインしろと迫ったという事だ。
泥沼である。
結局Hは「その誓約書にサインせねばならないという法的強制力は無い」と
断ったらしい。
4月、Hが先月M社を辞めたという噂を聞いて、迷ったが声をかけた…
「助けて欲しい…」と。
M社との軋轢もある。
傍から見たらヘッドハンティングだろう。
ただHの収入は確実に3分の1以下に減ってしまうから…
ヘッドハンティングと言えるのかは甚だ疑問だが。
更に保障も無い。
番組が不調で短命に終われば、声を掛けた小生が
Hの収入を保障すればいいのだが…それをできる余力は無い。
実際、1月から4月の間、ひとりで新ゲームの開発に追われ
収録会場として横浜のみなとみらい地区に
巨大テントを立てるという暴挙に出た為に許可申請に翻弄されて
小生がいっぱいいっぱいになっていた事は事実である。
Hのフリーディレクターとしての加入が決まったのは
結局、新番組の収録直前だった。
「収入面の保障よりみんなと働きたかったから…それでいいんです。」
Hの気持ちが有難い。
しかし…
皆さんは覚えておられるだろうか…
この新番組のタイトルを…
「キャプテン ドみの」
初回特番で6%台の低視聴率。
結局ヒドイ数字を連続して出し、低迷。
3ヵ月の短命で終了。
数億の赤字を回収する間もなく終わってしまった…
色々と思う所があるが…全て言い訳になる。
会社設立3年でやっと掴んだと思った安定は儚く塵となった…
中村俊輔選手のロケは無事成功した。
中村選手の素晴らしい人柄のお蔭だ。
マネージャーさんの計らいでセルティックの試合も観戦した。
30年来、プレミアリーグのファンだった小生は
スコティッシュプレミアリーグのスタンドで観戦できた事に感激した。
プレミアのサポーター達はどこのリーグよりも素晴らしいと思うからだ。
日韓Wカップの際、横浜で日本戦を観戦した時。
日本リーグ時代からサッカーを見ていた小生には
日本でW杯が観られるなんて想像もしなかったから
スタンドに入る入口ですでに涙腺がウルウルきていた。
同じようにプレミアのピッチを見て…グッときて泣けた。
余談はさておき
帰国後いくつかのロケを足早に終えスタジオ収録。
編集を済ませ、無事オンエアできた。
ご覧になった方は少ないだろうが、とても面白い良い番組だった。
この年末、もういくつかの特番を抱えていたが、朦朧としながら
なんとかこなした。
大晦日、TBSの格闘技イベント「Dynamite!!」の中継に
数年ぶりで携わり…激動の2006年は終わった。
2006年、このブログ上では省略したが、4月以降テレビ東京を含め
TBS、日本テレビ…様々な方々のご支援を賜り、特番だけではあったが
かなりの本数の仕事を頂戴した。
そしてフジテレビ、テレビ朝日の方々を御紹介頂いた作家Hさん、
ナレーターの T・T さんに感謝したいと思います。
2007年 1月某日
赤坂D社の会議室に春からスタートする「新番組」のスタッフが集まった。
プロデューサーのK、作家Mちゃん、Kちゃん…総合演出は小生と
2年前深夜で御一緒した超有名演出家Sさんの2人体制となっていた。
FOLCOM.からも取締役のディレクター T、ADのSが参加。
新番組は「ゲームアトラクション番組」で土曜の20時という枠だった。
アトラクション開発は小生が、番組の構成・内容面の演出はSさんが担当。
様々な番組でSさんはその圧倒的な演出力を発揮していたのでKも小生も
心酔していた。
更に言うなら、編成も小生だけでは心もとないがSさんがいれば
大丈夫という事でTBSが総合演出としてSさんを立てたのだ。
春、小生はある人物にスタッフとして加わるようにお願いをした。
Hというディレクターである。
Hは前のチームで一緒にやっていたディレクターだ。
元々建築家を目指していたH。
建築デザイン事務所からの転身という変わり種で
その技術を生かし、小生の作るスポーツアトラクション番組では
美術関連の部分を任せる位のディレクターだった。
当然、美術さんとの会議・打ち合わせには全て帯同していたから
小生が持つノウハウと同じノウハウを持つ唯一の人間である。
そして小生が抜けた後も正月のスポーツ大特番の演出として活躍していた。
我々が会社を作った年、前のチームを抜けFOLCOM.への加入を
希望してくれたのだが、実際Hが来てもやってもらう仕事が無かった。
当然、給料も払えない。
気持ちは有難かったが…
これと前後してTBSの社員を辞め、テレビ番組だけでなくミュージカルの
興行などで成功を収めていた前チームのプロデューサーは
独立してM社という新しい会社を興していた。
小生は自身もTBSの局員を辞め前チームのプロデューサーの
会社に移籍したKという演出家に会いに行った。
「Hが君達のチームのM社を辞めてFOLCOM.へ入りたいと言ってきたんだ。」
前チームのプロデューサーからの信頼も厚いHがそんな事を考えているとは
全く思いもよらなかったらしく、Kはショックを受けていた。
「なにかM社の仕事にモチベーションを失っているらしい…
少し責任ある仕事を任せて、モチベーションを上げさせたらどうだろうか?」
「そうですねぇ…」
「今、Kも知っていると思うけどウチには仕事が無いんだ。
Hの気持ちは有難いんだが…これが本音なんだ。」
この後、何度もHはFOLCOM.への加入を希望してくれたのだが
毎月の給料保障ができないからと断っていた。
そしてM社の命によりHはお台場にオープンするという
スポーツテーマパークの準備に入ったところで…
「僕はテレビの仕事をする為に建築業界を辞めたんです。
ゲームセンターの支配人になる為では無いんです!
もう我慢の限界です!」
そう周囲には漏らしていたらしい。
2006年、年末。お台場にそのテーマパークが完成して
「途中で逃げ出すのは無責任だからここまでやりました。」
2007年、Hは取締役にもなっていたM社を辞める事を決意する。
しかし小生達が2007年春「ゲームアトラクション番組」をやるという噂を
聞きつけたM社では「Hが加入するのではないか!」と
引き止めが始まったらしい。
弁護士まで入れて「INUI達がやる新番組に参加しない」という誓約書に
サインしろと迫ったという事だ。
泥沼である。
結局Hは「その誓約書にサインせねばならないという法的強制力は無い」と
断ったらしい。
4月、Hが先月M社を辞めたという噂を聞いて、迷ったが声をかけた…
「助けて欲しい…」と。
M社との軋轢もある。
傍から見たらヘッドハンティングだろう。
ただHの収入は確実に3分の1以下に減ってしまうから…
ヘッドハンティングと言えるのかは甚だ疑問だが。
更に保障も無い。
番組が不調で短命に終われば、声を掛けた小生が
Hの収入を保障すればいいのだが…それをできる余力は無い。
実際、1月から4月の間、ひとりで新ゲームの開発に追われ
収録会場として横浜のみなとみらい地区に
巨大テントを立てるという暴挙に出た為に許可申請に翻弄されて
小生がいっぱいいっぱいになっていた事は事実である。
Hのフリーディレクターとしての加入が決まったのは
結局、新番組の収録直前だった。
「収入面の保障よりみんなと働きたかったから…それでいいんです。」
Hの気持ちが有難い。
しかし…
皆さんは覚えておられるだろうか…
この新番組のタイトルを…
「キャプテン ドみの」
初回特番で6%台の低視聴率。
結局ヒドイ数字を連続して出し、低迷。
3ヵ月の短命で終了。
数億の赤字を回収する間もなく終わってしまった…
色々と思う所があるが…全て言い訳になる。
会社設立3年でやっと掴んだと思った安定は儚く塵となった…