放り込む…の13話・14話について補足しておく。
何故、前のチームと小生にこういう諍いが起こったのか…
会社が5年目を迎えるにあたって一度きちんと整理しておかないと
前に進めないのでここに記す。
2004年の夏、会社を興す前の事。
前チームでTBSのゴールデンタイムに放送していたスポーツバラエティ。
約9年に亘ってシリーズ放送された人気番組だったが特番を除き
レギュラー放送を終えた。
最後のスタジオ収録で出演者と関係者で軽い打ち上げをした。
その後、最終回へ向け編集作業に入った。
編集オペレーターのKさんとIさんは95年の番組開始からずっと
オンエアを一緒に作ってきた仲間である。
「9年続いたレギュラーが終わったんだから演出3人と編集オペレーターで
おつかれ様会をやろうよ」
という話になった。
小生はADのNにどこか居酒屋を予約しておくように指示した。
ここからが問題だった。
ADのNは全く悪気なく、この話を美術さん技術さんの何人かに話をした。
話はアッという間に広がり…
「大きな打ち上げの宴会があるらしぞ!」となっていった。
ADのNの携帯には各所から「何名で行きます…」「時間は何時ですか?」という
電話がかかってきたらしい。
約束の日の前日、小生はNに「場所はどこになったの?」と尋ねると…
「あのぅ…実は大勢の皆さんが参加したいという事になりまして…」
「あ?なにそれ?」
「すみません…大きな宴会場を予約しました。」
「ちょっと待て…何人が来るんだ?」
「100名を超えます…」
大変な事になった。
5人で飲むはずが100名が集まる大宴会に変わった。
それだけ皆の「9年間の打ち上げをしたい!」という思いが強かったのだろう。
じゃあ「番組の打ち上げにすればいい」となるのが普通だが…
この番組には少しやっかいな事があった。
番組の有名プロデューサーだ。
ある種のカリスマとして社内、社外問わず絶対的な存在として君臨していた。
それはそうだ、スポーツバラエティという「ジャンル」を確立させ
常時20%を超える番組と特番、大スポーツイベントの成功…
もの凄い仕事量と実績は例えるなら「超敏腕ワンマンCEO」だろう。
こういう人は少なからず下々の人間と対峙する際、
相手にある種の緊張を生じさせてしまう。
実際、会議などでは若いディレクターはひと言も発しない。
ビビってしまうのだ。
まさに「絶対君主」だ。
だから…小生達と「無礼講」で「宴会」を希望していた100名は
「プロデューサー不在」で楽しく飲める…と思っていたのだ。
前日の夜中に「参加者100名」の宴会をバラす事ができず
当日を迎えた。
赤坂の居酒屋の宴会場は大盛況。
結局あとからあとから加わった参加者は130名を優に超えた。
金は全員の割り勘だった為、大したツマミも無かったが…
「番組が終わったけど、また大きなコトやるぜ!」と怪気炎を上げた。
次の日。
「大変な事になってますよ…」という電話がかかってきた。
宴会に参加した各セクションのチーフクラスやその他の面々に
「お前はINUIと謀反を起こすつもりだろう。勝手に打ち上げを
やってどういうつもりだ?チームがイヤなら外れてもらって結構。」
こういう電話がその日1日じゅうかかってきているというのだ。
宴会の夜、参加者のひとりが「勝手に打ち上げをやっている…」と
プロデューサーの側近に伝えたのだった。
楽しく飲む会合だと思って参加した人々には寝耳に水。
「そんなつもりはサラサラないです…」という訳だった。
謀反を企てた張本人という有難くないレッテルの小生には全く連絡が無く…
参加者のみに「踏み絵」の電話がかかってきていた。
残念だった。
発端はどうあれ、形が「番組責任者不在の勝手な打ち上げ」に
なってしまった事は弁解の余地も無い。
プロデューサーの顔を潰した事は事実である。
ADのNにも悪意は無かったのだから責任は無い。
「踏み絵」を踏んだ人達にも申し訳無い。
小生の決断。
あくる日。
プロデューサーに会って辞める事を伝えた。
プロデューサーは
「誤解があったようだな。最初は編集のオペレーターと少人数でやろうと
思ったんだろ?みんなから聞いたよ。」
誤解は解けていた。
しかし…小生は
「申し訳ございませんでした。
他意は無かったものの結果的にプロデューサーにイヤな思いをさせました。
更に参加した皆さんにも動揺を与えてしまった事の責任を取らせて下さい。」
と申し出た。
「そうか…決めたのか…仕方ない。」
「本当に申し訳ございません。今ここに残っても新しいやり方を
ディレクターとして提案できないような気がします。
一旦、ここを離れて色々な所を見て…また御一緒できる日が来た時、
経験を生かした新しいモノを作りたいと思っております。」
「分った…またな」
小生はチームを辞めた。
これが真実である。
小生とプロデューサーが喧嘩別れしたと思っている関係者も多い。
事実とは反する。
また…その後、7か月を経た2005年の初春
プロデューサーから電話を頂戴した。
「お台場で新しいプロジェクトをやるんだ…一度話をしないか?」
我々の会社が軌道に乗っていない事を心配していただいたのであろう。
…そういう人だ。
組織のトップでいる人は決して弱みを見せない。
誰よりも番組の事を考え、誰よりも早く出社し、誰よりも遅くまで働いていた。
数々の大きなプロジェクトを成功させるには生半可な努力ではできなかったろう。
優しさではなく厳しさで我々スタッフを成功へ導いた人だった。
彼を悪く言う人も多いが…少なくとも小生は彼の「チルドレン」である。
現在のノウハウは彼の番組で得たものだ。
彼に任せてもらったからこそ得た知識で、今仕事ができている。
電話を戴いてすぐスケジュール調整していた時、
またもや誰かが「INUIは一緒にやるつもりは無いらしいですよ。」と
嘘を吹き込んだ取り巻きがいたらしい。
又聞きだが…それを聞いたプロデューサーは怒り、
小生と決別する事に決めたらしい。
当時、日テレのオーストラリアロケを控え
FOLCOM.ではF、T、小生が集まってこの電話について
日テレに出向したTも含めてスケジュール調整を話していたのに。
残念だった。
いつも嘘の密告だらけだ。
小生は言い逃れをしたくない。
自分が大切にしている最後の小さな美学だ。
釈明など意味が無い。
小生がチームに戻る事を嫌う輩がいるのだろう。
ならばそこに戻るべきではない。
会社の歴史を読んで下さっている方なら分かると思うが
当時、何も仕事が無い状況の中で誘いを断る理由が無い。
結果としてその年、初回のDOORSの仕事が舞い込んだだけだ。
ボタンの掛け違いだろう…。
13話・14話で「憎んで…」というのは上記のような事象を含め
それ以後の様々な積み重ねの結果である。
事実を知らない関係者には信じられないかもしれないが…
今も彼をリスペクトし、恩義を感じている。
もう同じ釜のメシは食えなくなってしまったが…
あの誰よりも必死で番組を支えていた背中は
決して仲が良いとは言えぬ関係ではあったが…
小生が一番知っていたつもりである。
以上のような事実を踏まえてこれ以後の話を進めたい。
何故、前のチームと小生にこういう諍いが起こったのか…
会社が5年目を迎えるにあたって一度きちんと整理しておかないと
前に進めないのでここに記す。
2004年の夏、会社を興す前の事。
前チームでTBSのゴールデンタイムに放送していたスポーツバラエティ。
約9年に亘ってシリーズ放送された人気番組だったが特番を除き
レギュラー放送を終えた。
最後のスタジオ収録で出演者と関係者で軽い打ち上げをした。
その後、最終回へ向け編集作業に入った。
編集オペレーターのKさんとIさんは95年の番組開始からずっと
オンエアを一緒に作ってきた仲間である。
「9年続いたレギュラーが終わったんだから演出3人と編集オペレーターで
おつかれ様会をやろうよ」
という話になった。
小生はADのNにどこか居酒屋を予約しておくように指示した。
ここからが問題だった。
ADのNは全く悪気なく、この話を美術さん技術さんの何人かに話をした。
話はアッという間に広がり…
「大きな打ち上げの宴会があるらしぞ!」となっていった。
ADのNの携帯には各所から「何名で行きます…」「時間は何時ですか?」という
電話がかかってきたらしい。
約束の日の前日、小生はNに「場所はどこになったの?」と尋ねると…
「あのぅ…実は大勢の皆さんが参加したいという事になりまして…」
「あ?なにそれ?」
「すみません…大きな宴会場を予約しました。」
「ちょっと待て…何人が来るんだ?」
「100名を超えます…」
大変な事になった。
5人で飲むはずが100名が集まる大宴会に変わった。
それだけ皆の「9年間の打ち上げをしたい!」という思いが強かったのだろう。
じゃあ「番組の打ち上げにすればいい」となるのが普通だが…
この番組には少しやっかいな事があった。
番組の有名プロデューサーだ。
ある種のカリスマとして社内、社外問わず絶対的な存在として君臨していた。
それはそうだ、スポーツバラエティという「ジャンル」を確立させ
常時20%を超える番組と特番、大スポーツイベントの成功…
もの凄い仕事量と実績は例えるなら「超敏腕ワンマンCEO」だろう。
こういう人は少なからず下々の人間と対峙する際、
相手にある種の緊張を生じさせてしまう。
実際、会議などでは若いディレクターはひと言も発しない。
ビビってしまうのだ。
まさに「絶対君主」だ。
だから…小生達と「無礼講」で「宴会」を希望していた100名は
「プロデューサー不在」で楽しく飲める…と思っていたのだ。
前日の夜中に「参加者100名」の宴会をバラす事ができず
当日を迎えた。
赤坂の居酒屋の宴会場は大盛況。
結局あとからあとから加わった参加者は130名を優に超えた。
金は全員の割り勘だった為、大したツマミも無かったが…
「番組が終わったけど、また大きなコトやるぜ!」と怪気炎を上げた。
次の日。
「大変な事になってますよ…」という電話がかかってきた。
宴会に参加した各セクションのチーフクラスやその他の面々に
「お前はINUIと謀反を起こすつもりだろう。勝手に打ち上げを
やってどういうつもりだ?チームがイヤなら外れてもらって結構。」
こういう電話がその日1日じゅうかかってきているというのだ。
宴会の夜、参加者のひとりが「勝手に打ち上げをやっている…」と
プロデューサーの側近に伝えたのだった。
楽しく飲む会合だと思って参加した人々には寝耳に水。
「そんなつもりはサラサラないです…」という訳だった。
謀反を企てた張本人という有難くないレッテルの小生には全く連絡が無く…
参加者のみに「踏み絵」の電話がかかってきていた。
残念だった。
発端はどうあれ、形が「番組責任者不在の勝手な打ち上げ」に
なってしまった事は弁解の余地も無い。
プロデューサーの顔を潰した事は事実である。
ADのNにも悪意は無かったのだから責任は無い。
「踏み絵」を踏んだ人達にも申し訳無い。
小生の決断。
あくる日。
プロデューサーに会って辞める事を伝えた。
プロデューサーは
「誤解があったようだな。最初は編集のオペレーターと少人数でやろうと
思ったんだろ?みんなから聞いたよ。」
誤解は解けていた。
しかし…小生は
「申し訳ございませんでした。
他意は無かったものの結果的にプロデューサーにイヤな思いをさせました。
更に参加した皆さんにも動揺を与えてしまった事の責任を取らせて下さい。」
と申し出た。
「そうか…決めたのか…仕方ない。」
「本当に申し訳ございません。今ここに残っても新しいやり方を
ディレクターとして提案できないような気がします。
一旦、ここを離れて色々な所を見て…また御一緒できる日が来た時、
経験を生かした新しいモノを作りたいと思っております。」
「分った…またな」
小生はチームを辞めた。
これが真実である。
小生とプロデューサーが喧嘩別れしたと思っている関係者も多い。
事実とは反する。
また…その後、7か月を経た2005年の初春
プロデューサーから電話を頂戴した。
「お台場で新しいプロジェクトをやるんだ…一度話をしないか?」
我々の会社が軌道に乗っていない事を心配していただいたのであろう。
…そういう人だ。
組織のトップでいる人は決して弱みを見せない。
誰よりも番組の事を考え、誰よりも早く出社し、誰よりも遅くまで働いていた。
数々の大きなプロジェクトを成功させるには生半可な努力ではできなかったろう。
優しさではなく厳しさで我々スタッフを成功へ導いた人だった。
彼を悪く言う人も多いが…少なくとも小生は彼の「チルドレン」である。
現在のノウハウは彼の番組で得たものだ。
彼に任せてもらったからこそ得た知識で、今仕事ができている。
電話を戴いてすぐスケジュール調整していた時、
またもや誰かが「INUIは一緒にやるつもりは無いらしいですよ。」と
嘘を吹き込んだ取り巻きがいたらしい。
又聞きだが…それを聞いたプロデューサーは怒り、
小生と決別する事に決めたらしい。
当時、日テレのオーストラリアロケを控え
FOLCOM.ではF、T、小生が集まってこの電話について
日テレに出向したTも含めてスケジュール調整を話していたのに。
残念だった。
いつも嘘の密告だらけだ。
小生は言い逃れをしたくない。
自分が大切にしている最後の小さな美学だ。
釈明など意味が無い。
小生がチームに戻る事を嫌う輩がいるのだろう。
ならばそこに戻るべきではない。
会社の歴史を読んで下さっている方なら分かると思うが
当時、何も仕事が無い状況の中で誘いを断る理由が無い。
結果としてその年、初回のDOORSの仕事が舞い込んだだけだ。
ボタンの掛け違いだろう…。
13話・14話で「憎んで…」というのは上記のような事象を含め
それ以後の様々な積み重ねの結果である。
事実を知らない関係者には信じられないかもしれないが…
今も彼をリスペクトし、恩義を感じている。
もう同じ釜のメシは食えなくなってしまったが…
あの誰よりも必死で番組を支えていた背中は
決して仲が良いとは言えぬ関係ではあったが…
小生が一番知っていたつもりである。
以上のような事実を踏まえてこれ以後の話を進めたい。