6月  ゲームのシミュレーションは佳境。

番組のロゴも決まった。

番組のタイトル曲も決まった。


7月  いよいよ収録一ヶ月前

技術・美術・照明のスタッフには小生が9年間一緒に仕事をした一流の

スタッフを指名させてもらった。


皆、快く引き受けていただいた。


全体会議の後、15人程赤坂の居酒屋に集まっては

「あーでもない、こーでもない」と激論を交わした。


中継のG、照明の巨匠Sちゃん、デザイン部長のKさん…

才能の無かった小生に知恵を授け、育ててくれた恩人ばかり…


小生が「こうしたいんだ…」と夢みたいな事を言う。

彼らは相談し、小生の理想を叶える為に考えてくださる。


小生は必死だったのだ。

これが負け試合ならFOLCOM.は完全に終わる。

小生はディレクター人生を懸けていた。

これが負け試合なら前のチームで得た9年間のノウハウ…

そして16年の演出人生で何も学んで来なかった事になる。

「人生の運」というものがあるならこの機会に全て費やしても構わない。

そう思って毎日闘っていた。



実際、ゲームのシミュレーション、打ち合わせ…

全てに於いて小生は「暴君」となっていた。

「やると言ったらやるんだ!絶対に引かないよ」と口癖のように言っていた。


人生には幾度かこういう「時」が来るものなのだろう。

全てを「賭けて」勝負しなければならない「時」がきっと「今」だ。


テレビの仕事をして20年が経っていた。

どうなるのか分からぬまま自分なりにやってきた…

外部の下請けディレクターである自分に、局の「50周年記念」の番組が来た。

最高じゃないか…

みんなこういう仕事をしたいと思っていてもそういう幸運に巡り合えない。

せっかく幸運が降ってきた。

全てを賭けてやり切らなかったらバチが当たりますよ。


8月に入り、収録会場幕張メッセで美術、技術のセッティング開始。

2週間に及ぶ2000人による立て込みの間、美術さん達はホールの床で

倒れて寝ていた…ホテルに帰る気力も無いほど疲れていたのだった。

小生はそれを見て、涙が溢れた。

みんな…必死なんだ。たかだかテレビのゲーム番組なのに…



2005年 8月13日 TBSテレビ放送50周年記念特別番組「DOORS」収録。


その日、たった7人の「有限会社 FOLCOM.」は、創立1周年を迎えた。


数億円を使い出来上がった巨大セットの頂上に立ち

その素晴らしいセットを見下ろしていた。


「今、ここにテレビ放送の極限がある。これがテレビ史上最大のセットだ。

 それを小生が作れた…最高だ…」


4日間の収録は無事終わった。


収録が終わって全てのスタッフがセット前に集合。

Uプロデューサーの粋な計らいで小生はマイクを持たされ話し始めた…


「私事で申し訳ございません。

 この会場にいる皆さんの殆どが御存じのように私は9年の間前のチームで

 大きな番組をやらせていただいていました。


 会社を立ち上げた時、二度と大きな番組なんかできないんだろうなぁ…と

 思いましたし、実際仕事なんか何もありませんでした。


 弊社、FOLCOM.は収録初日に一周年を迎えました。

 何にも仕事が無かった日から1年後、

 またこうして皆さんとこんな大きな番組でお会いできました。

 ありがとうございました。」


TBSアナウンサー小林麻耶さんは泣いていた。


実況MC福澤 朗さんの音頭で1000人が乾杯した。



9月19日 DOORS 4時間放送 視聴率 21.3% 


朝、総合演出Kさんから電話があり互いに「ホッとした…」と言い合った。

プロデューサーのUさんから労いのお電話を頂き…

各所からの「おめでとう」の電話が鳴りやまなかった。

こんな事、人生で初めてだった。


小生は、勝った。


しかし…その3ヵ月後、完全な敗北を味わう事となった。