この頃、小生は別に深夜の番組の放送が控えていた。

深夜に30分を4回だけ放送するという実験枠

赤坂にあるDという制作会社。

そこにKというプロデューサーがいる。

KはTBSからDに出向している局員プロデューサー。

前のチームでディレクターとして一緒だったがその後、

スポーツドキュメンタリーのプロデューサーになった。


春、D社の企画会議に出席していたので企画内容は知っている。

有名放送作家 I さんの企画である。

総合演出は、Sさんというこれまた超有名ディレクターだった。


小生が企画会議に参加していた為、Kは小生に演出させようとしてくれたのだが

局からの要請でSさん御指名になった。


Kはプロデューサーとして小生を気遣い、こう言った。

「演出がSさんになったのでINUIさんには申し訳ないです。Sさんの下で

 やるのはやっぱりプライドが許さないですよね…?すみませんでした。」


「いや…是非、ロケだけでもいいからSさんの下でやらせてもらえないか?」

と答えた。


Sさん。

フリーのディレクターで、この業界で3本の指に入る超有名演出家である。

年齢は小生よりひとつ上。

小生がまだADの頃、CXの深夜で伝説の番組をディレクターとして担当。

その番組のもうひとりの演出、Tさんも同じく伝説の現役天才演出家である。

そのTさんといえば「料理の鉄人」の演出家として著名だ。


小生達FOLCOM.の面々はTBSのスポーツバラエティで約9年過ごした。

つまり、それしかやっていなかった…。

小生は、それ以前にかなりの本数のバラエティを経験しているとは言え

すでに最先端のバラエティからは置いてきぼり状態だ。

感覚の鈍り、衰えは否めない。

小生がSさんの元で新しい演出法を学び、自分の下にいる者に伝える…

絶好の機会ではないか。プライドがどうのと言っている場合では無いだろう。


そういう訳でなんとかSさんと御一緒できる機会を得た。

作家の I さんとお会いできたのも財産だ。


深夜の30分番組とはいえ、Sさんの演出方法には本当に驚いた。

ここに詳しく書く事を控えるが、その後の小生の番組に対するアプローチは

完全に変わった。

事務所に戻って、若いディレクター陣に詳しく説明もできた。


この機会を与えてくれたKプロデューサー、Sさん、Iさんに感謝している。

そして3年後、Sさんとは再びお会いして番組を立ち上げる日が訪れるのだが…


そのSさんは編集中、小生にこう言った。

「DOORSというのをやるそうですね。DOORSのディレクターに

 Kというのがいるでしょ。」

「はい、初めて御一緒させてもらう事になりました。」

「初めてなんですか…INUIさんはKとは合わないと思いますよ。」

「え?そうですか…」


Sさんは昔Kさんと人気バラエティ番組で仕事をしたらしい…


DOORSでの小生とKさんの肩書は「監督」と「総合演出」。

なんだか違いがよく分からないが(笑)Uプロデューサーが

気を遣ってそういう風にしてくれている。


果たしてSさんの言うように「合わない」のだろうか…。


DOORSの会議が定例化するのに伴い、弊社取締役のTディレクターを

出向先の日テレから呼び戻した。

先方ではかなり引き止めがあったようなのだが…社を挙げての大特番、

さらにこのノウハウの全てをTに見せておく為でもあった。


T、彼は前のチームではサッカーの的当て競技コーナー担当で

海外の大物サッカー選手のロケなどで世界を飛び回っていた。

しかし、アトラクション系のモノ作りは経験が無かったのである。


日本のテレビ界において「巨大アトラクション番組」のノウハウを

持っているのは小生達と前のチームしか無い。

更に言うならFOLCOM.でも小生しか居ない。

ノウハウを武器に他社との違いを売るにはTを育てる事が急務だった。


春、FOLCOM.にSとHいうADが入った。

2人ともかなり前に前のチームを抜けて他番組に移り、

我々が会社を作ったという噂を聞いて来てくれたのだった。


とりあえずスタンバイとして弊社からは小生とT、

ADのS、Hの4名でDOORSへ。


DOORSの会議はまず「どういう番組であるべきか」が議題だった。

当たる番組には「魂」ともいうべきロジックがある。

それを徹底的に話し合わなければ失敗する。

ゲーム番組だからといってゲームをまず考えるのでは無いのだ。

その番組に「相応しいアトラクション」はロジックから生まれる。


この段階で前出の「バイオ・ハザード案」は無くなった。

ゴールデンの番組に「ゾンビ」は相応しくない。

「ドアを開ける度に違う何かがある」という事だけを原案通りの

コンセプトとして残し、あとは全くの白紙となった。


重ねて言うが、この時点では「ゲーム番組」にするのかも白紙だったのだ。