2005年 2月
FOLCOM.設立半年後。
携帯に電話がかかってきた。
小生が以前所属していた事務所の放送作家Oさんだった。
「実は某局で春にゲーム特番やるんで半年間会議やってるんだけど…
どうにもこうにも進まなくて…助けてくれよ。」と言う。
某局からはプロデューサーとディレクターが立つのだが、
特番自体の制作はZという制作会社で総合演出もZの方がやるとの事。
当時人気急上昇していた某男性アイドルグループがMCで
全編がオーストラリアロケという豪華なゴールデン特番であった。
後日、小生は総合演出の方と話す為、制作会社Zへ向った。
お付き合いも初めてなので、面接っぽい感じだった。
番組の概要を教えて頂き、企画全体の意図はなんとなく理解した。
頂くギャラもその時に決めた。当然、孫請け的な雇われ方だから少額である。
小生は、副社長Fを連れて行く事を条件に特番参加を承諾した。
当然、仕事にあぶれている状態だから無条件で喜びたい所だが…
説明を受けた感じでいうなら全くゲーム番組として成立していなかった。
確かに全編オーストラリア縦断ロケの豪華感、タレントの豪華感はある、
それだけで2時間特番が成功するなら皆、そうするだろう。
問題が中身なのは明々白々。
その中身のゲームはショボかったから心配して作家Oさんが電話してきたのだ。
更に…ノウハウ。
アトラクション系の番組を10年に亘ってやって、得たノウハウは膨大である。
このノウハウはFOLCOM.の唯一の武器だ。
雇われ参加の1ディレクターとしてのギャラでは見合わない。
例え番組が大成功しても手柄はZのものとなる。
これが引っ掛っていた………ズルイな(笑)
実際、ゲームの中身はすでに殆ど「決定」に近い形になっていた。
これでは失敗かもな…と思ってZを後にした。
数日後、ゲームに関する美術さんとの会議が行われるため再びZへ。
そこで某局から監修するために来ていた I さんと名刺交換。
会議が始まった。
するとその美術参加者の顔ぶれを見て驚いた!
なんと小生と10年一緒にゲームアトラクション番組を作っていた面々ばかりだ。
笑った…
(結局、大きなゲーム番組をやろうと思ったらこのメンツを呼ぶ他にないんだよなぁ)
向こうも
(なんでお前がいるの?ここはTBSじゃないのに)という顔で笑っている。
総合演出の方が説明している途中、何度も美術各社から
「そんなのそもそも無理だよ!分かって言ってんのか?間に合わねぇぞ!」
ほら、手厳しい(笑)
物理的に無理なのは分かるが…
総合演出さんはゲーム番組が初めてなんだから仕方ないだろう。
さて…どうするか…
某局局員の I さんが「INUI さん、どうしたらいいですかね?」と振った。
後から聞いた話だが、I さんは作家Oさんから
「制作会社Zの総合演出が困ったら INUI に振れ」と言われていたらしい。
それもズルイなぁ(笑)
小生はゴネる美術の面々に向かって話し始めた。
「まず、シドニーで行う最初のAというゲーム。このままでは無理なのは分かります…
だから、これをこうして、アレをこうする。
するとこれとアレの塩梅を見なきゃいけませんからシミュレーションしましょ。
あとは現場で作らないと見れませんから、調整が効くようにこう作って下さい。
できますね●●さん?」
「ああ…それならできるけど…」
「では次なんですが………これでできますね?」
…美術の面々は笑っていた「こいつにゃ、かなわんな」と
ちょっとカッコつけすぎているみたいに思われるかも知れませんが(笑)…
現在、TBSのDOORS美術会議でこの時の面々と会う度にこの話になる。
「INUIさん仕切りすぎだったよ」と爆笑になる。
色々考えたが…番組に参加させて頂いている事には変わりない。
仕事はします。
全て実話である。
10年の間、この厳しい面々と戦って…信頼を勝ち得て…今に至る。
制作の演出と美術さんの関係はある部分「戦い」である。
最初は「バカ」扱いである。「知らない」から手を抜かれる。
自分の発注のイメージとのギャップに落胆し、美術さんを憎らしく思ったりした。
だから教えを乞う。出来上がりを見るのではなく、
現場でセットを作る時に見せてもらう。
手を抜けないから嫌がられるが(笑)ずっといて質問し続ける。
材料に興味を持って色々見せてもらう…知識を得る。
どうなっているのかグルグル回って見ては、覚えておく。
いつしか、美術さんから「できないな」と言われた時、
「あの時、こうやって作っていたからできないはずがない。」と言えるようになる。
「材料はこれでいいね?」と言われる。
「違いますね。これでは濡れた時、滑るから●●という材料の裏面を使って下さい」
こう答えられるようになる。
自分達の専門の事をディレクターが知識として知りすぎている事に驚く。
ナメてかかれないから当然打ち合わせにはベストのモノを提案してくる。
番組のセットが抜群に良くなっていく。
美術さんも出来の良さに満足して気持ちいい…小生とスゴく仲良くなる。
これが小生のやり方だ。
春、オーストラリアでの全5ヶ所の収録のうち1ヶ所だけ一応小生とFが参加した。
結局、小生のゲームアトラクションの提案は総合演出さんには受け入れられず
編集権も我々には無く…オンエアを事務所で見たのだが…結果、視聴率はヒドかった。
言い知れない無力感に苛まれた。
途中から参加して美術のコーディネーターみたいな役回りはもう御免だ。
「10年のノウハウを思いきり出せる場所が欲しい!」
2005年春。
TBS編成から電話が来た。
「TBSテレビの50周年記念の4時間特別番組があるんですが…興味あります?」
これが…
この電話が小生、否、FOLCOM.とDOORSの始まりだった。
ゴムボート、オーストラリアより帰還。赤坂へ全力発進。
FOLCOM.設立半年後。
携帯に電話がかかってきた。
小生が以前所属していた事務所の放送作家Oさんだった。
「実は某局で春にゲーム特番やるんで半年間会議やってるんだけど…
どうにもこうにも進まなくて…助けてくれよ。」と言う。
某局からはプロデューサーとディレクターが立つのだが、
特番自体の制作はZという制作会社で総合演出もZの方がやるとの事。
当時人気急上昇していた某男性アイドルグループがMCで
全編がオーストラリアロケという豪華なゴールデン特番であった。
後日、小生は総合演出の方と話す為、制作会社Zへ向った。
お付き合いも初めてなので、面接っぽい感じだった。
番組の概要を教えて頂き、企画全体の意図はなんとなく理解した。
頂くギャラもその時に決めた。当然、孫請け的な雇われ方だから少額である。
小生は、副社長Fを連れて行く事を条件に特番参加を承諾した。
当然、仕事にあぶれている状態だから無条件で喜びたい所だが…
説明を受けた感じでいうなら全くゲーム番組として成立していなかった。
確かに全編オーストラリア縦断ロケの豪華感、タレントの豪華感はある、
それだけで2時間特番が成功するなら皆、そうするだろう。
問題が中身なのは明々白々。
その中身のゲームはショボかったから心配して作家Oさんが電話してきたのだ。
更に…ノウハウ。
アトラクション系の番組を10年に亘ってやって、得たノウハウは膨大である。
このノウハウはFOLCOM.の唯一の武器だ。
雇われ参加の1ディレクターとしてのギャラでは見合わない。
例え番組が大成功しても手柄はZのものとなる。
これが引っ掛っていた………ズルイな(笑)
実際、ゲームの中身はすでに殆ど「決定」に近い形になっていた。
これでは失敗かもな…と思ってZを後にした。
数日後、ゲームに関する美術さんとの会議が行われるため再びZへ。
そこで某局から監修するために来ていた I さんと名刺交換。
会議が始まった。
するとその美術参加者の顔ぶれを見て驚いた!
なんと小生と10年一緒にゲームアトラクション番組を作っていた面々ばかりだ。
笑った…
(結局、大きなゲーム番組をやろうと思ったらこのメンツを呼ぶ他にないんだよなぁ)
向こうも
(なんでお前がいるの?ここはTBSじゃないのに)という顔で笑っている。
総合演出の方が説明している途中、何度も美術各社から
「そんなのそもそも無理だよ!分かって言ってんのか?間に合わねぇぞ!」
ほら、手厳しい(笑)
物理的に無理なのは分かるが…
総合演出さんはゲーム番組が初めてなんだから仕方ないだろう。
さて…どうするか…
某局局員の I さんが「INUI さん、どうしたらいいですかね?」と振った。
後から聞いた話だが、I さんは作家Oさんから
「制作会社Zの総合演出が困ったら INUI に振れ」と言われていたらしい。
それもズルイなぁ(笑)
小生はゴネる美術の面々に向かって話し始めた。
「まず、シドニーで行う最初のAというゲーム。このままでは無理なのは分かります…
だから、これをこうして、アレをこうする。
するとこれとアレの塩梅を見なきゃいけませんからシミュレーションしましょ。
あとは現場で作らないと見れませんから、調整が効くようにこう作って下さい。
できますね●●さん?」
「ああ…それならできるけど…」
「では次なんですが………これでできますね?」
…美術の面々は笑っていた「こいつにゃ、かなわんな」と
ちょっとカッコつけすぎているみたいに思われるかも知れませんが(笑)…
現在、TBSのDOORS美術会議でこの時の面々と会う度にこの話になる。
「INUIさん仕切りすぎだったよ」と爆笑になる。
色々考えたが…番組に参加させて頂いている事には変わりない。
仕事はします。
全て実話である。
10年の間、この厳しい面々と戦って…信頼を勝ち得て…今に至る。
制作の演出と美術さんの関係はある部分「戦い」である。
最初は「バカ」扱いである。「知らない」から手を抜かれる。
自分の発注のイメージとのギャップに落胆し、美術さんを憎らしく思ったりした。
だから教えを乞う。出来上がりを見るのではなく、
現場でセットを作る時に見せてもらう。
手を抜けないから嫌がられるが(笑)ずっといて質問し続ける。
材料に興味を持って色々見せてもらう…知識を得る。
どうなっているのかグルグル回って見ては、覚えておく。
いつしか、美術さんから「できないな」と言われた時、
「あの時、こうやって作っていたからできないはずがない。」と言えるようになる。
「材料はこれでいいね?」と言われる。
「違いますね。これでは濡れた時、滑るから●●という材料の裏面を使って下さい」
こう答えられるようになる。
自分達の専門の事をディレクターが知識として知りすぎている事に驚く。
ナメてかかれないから当然打ち合わせにはベストのモノを提案してくる。
番組のセットが抜群に良くなっていく。
美術さんも出来の良さに満足して気持ちいい…小生とスゴく仲良くなる。
これが小生のやり方だ。
春、オーストラリアでの全5ヶ所の収録のうち1ヶ所だけ一応小生とFが参加した。
結局、小生のゲームアトラクションの提案は総合演出さんには受け入れられず
編集権も我々には無く…オンエアを事務所で見たのだが…結果、視聴率はヒドかった。
言い知れない無力感に苛まれた。
途中から参加して美術のコーディネーターみたいな役回りはもう御免だ。
「10年のノウハウを思いきり出せる場所が欲しい!」
2005年春。
TBS編成から電話が来た。
「TBSテレビの50周年記念の4時間特別番組があるんですが…興味あります?」
これが…
この電話が小生、否、FOLCOM.とDOORSの始まりだった。
ゴムボート、オーストラリアより帰還。赤坂へ全力発進。