10年前に3週間ほど沖縄一人旅した時のこと
ダイビングをして過ごしていたら
途中喘息のしんどさが出てしまい
宿で5日間休んだことがあった
私の喘息はゼイゼイやひゅーひゅーと聞こえず
いたって地味しんどいけれど
人に気づかれることのない症状なのです
現地の病院で診ていただき
気管支喘息
発作出てます
点滴をします
旅の途中ということもあり
入院となるとね~
的な感じでした
私的にはこのくらいで?
これが発作なんだ
いつも発作が出てたんだ
え~~~
しんどいのはしんどいけど...
海に入るのドクターストップ出てしまった💦
沖縄に来てるのに(;O;)
このくらいの症状なんていつも我慢してたし
薬もらって終わりと思ってたら
結構重症なレベルだったのかと
初めて知った...
小学生の時から運動が好きで
ドッチボールは最後まで残るタイプ
逃げるのがうまいのではなく
キャッチして投げて当てるのがうまかった
自分でも得意だったのを覚えている
中学生になると運動部に入りました
このあたりから風邪をひいたら息がしにくくなって
呼吸困難になることが多くなった
小学1年生の時に初めて喘息と診断されてからなんともなかったのに
子供ながらに自分の家は貧乏と分かっていたし
病院に行きたいって言えなかった
言えなかったというより我慢することが自分の中で
普通のことだったのかもしれない
呼吸がおかしいのは
ホコリを吸い込んだからだ
と勝手に想像し(この頃から深掘りや原因探しをしていたんだな)
寒いけど
ベランダに出て息吸ってたら治まるだろう
(本当は寒暖差がよくないのでかなりの無理をしていたと思う)
横になると余計に呼吸がしんどいので寝れず
寒い中ひとりで
ベランダにあった椅子に座って
治まれ治まれって願っていた
毎回どれくらいの時間いたのだろう
それすら覚えてない
今思うと
我慢できたことや倒れなかったことが
不思議なくらいだった
父親が商売をしていて
母親は朝からパート勤務
帰ってきて私たちのご飯の用意をしたら
父親の仕事を手伝いに行く
もちろん鍵っ子で
兄弟でお家にいてた
だから親は
私が喘息発作でしんどい時のことを知らない
知らないほうがいいって
勝手に思っていたのだと思う
騒ぎにならず
過ぎていくことを願っていたように思っていた
きれいごとだな
おかあさん
しんどいよ~って
甘えたかった
が本音かな
””これを書いていて涙目になった。我慢してたんだなその時の自分。
うまく自我を出したり甘えれなかった幼少期があったから私自身こじれてしまった。
親に対して素直じゃなかったし、深い話ができなかった。
心配させないように悪いことや失敗を話せないまま大人になった。
もっと話がしたかった。なんでも話したかった。
いま思っても、もう両親はいない。
一生、反抗期で終わってしまった。
情けない
こんな子供でごめんね。””
こういう自分としっかり向き合わなければ
きっとこれからも後悔ばっかり
過去と向き合うことで
見えてくることあるよね
文字におこして自分と対話していくことにしました
セルフカウンセリング
優しく見守って下さい☆
#喘息 #幼少期 #過去と向き合う